イディオット・プロット

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シェイクスピアの『間違いの喜劇』では、主人の双子の弟が既に家の中にいたために、勘違いした使用人が帰宅した主人が邸内に入るのを拒否するという場面がある。結局、主人は誤解を解くことはできず、自宅を去る。 ロジャー・イーバートは人物の取り違え(誤認)をテーマにした物語には、基本的にイディオット・プロットの要素が含まれていると指摘している。

イディオット・プロット(Idiot plot、直訳で馬鹿のプロット)とは、文芸評論において登場人物全員が馬鹿(愚者)であることを前提として物語が進行する形式を指す用語[1]:26。この形式の作品ではもし一人でもまともな登場人物がいれば、物語はすぐに終わるか、そもそも物語自体が発生しない[2]。 これは単に登場人物達の知能に起因するだけではなく、プロットの工夫によって、問題解決に必要な情報を認識できない、あるいは知らされていない状況が作り出されていることも含まれる。問題解決を妨げる原因は読者には一目瞭然であっても、登場人物たちは物語全体を通して何らかの理由により、その情報を避けたり、気づかなかったりする。

この用語の発明者はよくわかっていない。SF作家デーモン・ナイトは、1956年の自著の中でSF作家かつ評論家でもあったジェイムズ・ブリッシュが考案した可能性があると指摘している[1]:26。また、ナイトはさらに拡張する形で、社会全体も馬鹿でないと物語が成り立たないとする「第二種イディオット・プロット」(second-order idiot plot)を提唱した[1]:195

この用語は後に映画評論家のロジャー・イーバートによって広く知られるようになった[3]

使用例

実例

脚注

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