イブラーヒーム・イブン・アグラブ
From Wikipedia, the free encyclopedia
イブラーヒームの父、アグラブ(al-Aghlab)は、アブー・ムスリムとともにアッバース朝革命をなしとげたホラーサーン出身のアラブである。アグラブは765年から767年までイフリーキヤ総督をつとめ、ハサン・イブン・ハルブ(al-Hasan ibn Harb)の反乱の際に殺害された[1]。
『イスラーム百科事典』によると、イブラーヒーム・イブン・アグラブは、精力的で賢明、慎重で抜け目なく、勇敢な戦士であると同時に有能な外交官でもあった。法学を含むさまざまな学問を修めており、詩作や弁論にも巧みであった[1]。
795年にザーブの統治者に任命される[1]。在任中、イフリーキヤで、アッバース朝の統治者(ワリー)、ムハンマド・イブン・ムカーティル・アッキーへの反乱が発生した。イブラーヒームはこの反乱の鎮圧において中心的な働きをする[2]。カリフ・ハールーン・ラシードは見返りとして、イブラーヒームをイフリーキヤのアミールとして認めた(800年6月9日)。さらに毎年、アッバース朝の国庫に4万両のディーナール金貨を支払うことを引き換えに、事実上完全な独立を与えた。これにより、イブラーヒームとその後継者たちは世襲制のアグラブ朝を樹立することができた[2]。
