イブン・ハズム
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コルドバの名家に生まれる。父アフマドは、ウマイヤ朝のカリフであるヒシャーム2世に仕える宰相だった。家庭では多くの侍女にかしずかれて育ち、この時の経験がのちの著作『鳩の頚飾り』に影響を与える[1]。後ウマイヤ朝の内紛によりコルドバを逃れ、カリフのアブド・アッラフマーン4世、アブド・アッラフマーン5世、ヒシャーム3世の宰相となるが、動乱のために数度の投獄を受ける[2]。
イスラーム法学ではザーヒル派に属し、クルアーンやハディースの内容を固守する論客だった。類推(キヤース)、個人的見解(ラーイ)、合意(イジュマー)などによる妥協を認める学説に反対し、当時のアンダルスで支配的だったマーリク派の法学者たちを攻撃したため、迫害を受ける。神学や法学を中心に400篇近い著述をしたとされるが、大半は存命中にセビリアで焼き捨てられ、ニエブラで死去した[3][2][4]。
代表的な著作として、ユダヤ教、キリスト教、イスラームについて書いた『諸宗派に関する書』(Al Kitab al-Muhallā bi'l Athār)がある。現存する唯一の文芸作品であり、恋愛論でもある『鳩の頸飾り』(Ṭawq al-Ḥamāmah)は、死後8世紀以上たってからライデン大学で写本が発見され、各国語に訳されている[5][6]。
著書
- Al Kitab al-Muhallā bi'l Athār 『諸宗派に関する書』
- Ṭawq al-Ḥamāmah. 『鳩の頸飾り 愛と愛する人々に関する論攷』