イブン・ファキーフ・ハマダーニー

From Wikipedia, the free encyclopedia

イブン・ファキーフ・ハマダーニーIbn al-Faqīḥ al-Hamadhānī)は、9世紀末から10世紀頃のペルシアの文人、地理学者[1][2]。903年ごろに Kitāb akhbār al-Buldān. という地理書をアラビア語で執筆した[1]

生涯に関する情報は皆無であるか、あるいはそれに近い[1][2]。生没年不詳であるが、主著の Kitāb akhbār al-Buldān. (以下、『諸国誌』)の書かれたのがヒジュラ暦290年ごろ(西暦903年又は904年)であろうと推定されている[1][2]

名前(イスム)は「アフマド」、クンヤは「アブーバクルあるいはアブーアブドゥッラー」、「シハーブッディーン」のラカブがある[注釈 1]。「法学者の息子」の意味を持つ「イブン・ファキーフ」というあだ名と「ハマダーニー」というニスバから、彼がハマダーン出身であり、父親が法学者であることが推測される[1]。また、著作の内容から、イブン・ファキーフはバグダードで暮らしていたことが推測される[1]ヤークートが引用するシーラワイヒという名のハマダーンの歴史家によると、イブン・ファキーフとその父は、よく知られた伝承学者イスラーム法学の一分野の専門家)であったという[1][2]

著作

註釈

出典

Related Articles

Wikiwand AI