インパルス!レコード
From Wikipedia, the free encyclopedia
インパルス!レコード (Impulse! Records) は、ABCパラマウント・レコードのプロデューサーであったクリード・テイラーによって1960年に設立されたジャズ・レーベル。
| インパルス!レコード Impulse! Records | |
|---|---|
| 親会社 | ユニバーサル ミュージック グループ |
| 設立 | 1960年 |
| 設立者 | クリード・テイラー |
| 販売元 | ヴァーヴ・レコード |
| ジャンル | ジャズ |
| 国 |
|
| 本社所在地 | ニューヨーク |
| 公式サイト |
www |
現在はユニバーサル ミュージック グループのヴァーヴ・ミュージック・グループの一部にあり、再版のみのレーベルとなっている。
見開きのジャケットで、黒とオレンジ色で統一されたデザインが特徴的。多くのアルバムはボブ・シール(Bob Thiele)によりプロデュースされており、ルディ・ヴァン・ゲルダーがサウンド・エンジニアをしている。
フリー・ジャズのレーベルとして有名だが、ベン・ウェブスターやベニー・カーター等スウィング/モダン等にも範囲を広げており、1960年代後半にはフュージョン的な作品もリリースしている。しかしこの頃には第一弾で主力アーティストのジョン・コルトレーンの死去により減退、1970年代には彼の未公開演奏のアルバム化したりするが活気は戻らず、1970年代後半には新譜を発表するのをやめた。後にプロデューサートミー・リピューマにより、活動を再開し、音源を再発し始めた。また古くからのアーティスト、マッコイ・タイナーやジョン・コルトレーンの寡婦アリス・コルトレーン等を中心に新録音も再開していた。再び新録音を控えカタログの再発のみの時期もあったが、2010年代より新録音を再再開。ソウル/R&B、ファンク、ヒップホップ、ラテン等を取り入れレーベルカラーを一新。ホセ・ジェイムズやスナーキー・パピー、ロベルト・フォンセカ、シャバカ・ハッチングス(サンズ・オブ・コメット)、ブレンディー・ヤンガー等のアルバムをリリースした。
沿革
インパルス!レコードの親会社であるABCパラマウント・レコード(ABC-Paramount Records)は、1955年にアメリカン・ブロードキャスティング・カンパニー(American Broadcasting Company、ABC)の録音部門として設立された。
1940年代から1950年代には、アメリカン・ブロードキャスティング・カンパニー(American Broadcasting Company、ABC)はアメリカ政府による放送局や映画会社への反トラスト法適用の恩恵を受け、各社が事業の一部を切り離す必要に迫られた時期に成長した。1950年代初頭、ABCはNBCからラジオ放送網ブルー・ネットワーク社(The Blue Network, Inc.)を買収し、その後、映画会社パラマウント・ピクチャーズが所有していたパラマウント劇場チェーン(映画館チェーン)が独立したタイミングでこれと合併させた。
新たに誕生した録音部門は、タイムズスクエアのパラマウント劇場の上階、ブロードウェイ1501番地で開業した[1]。パラマウント・ピクチャーズの元代表レナード・ゴールデンソン(Leonard Goldenson)の指揮のもと、同社は「テレビ・映画館・音楽録音を横断するメディア企業としての地位確立」を目指した[2]。ディズニーと共同制作した『ミッキーマウス・クラブ』によりテレビ分野で早期の成功を収めた。
この人気テレビ番組の音楽を販売するため、ABCパラマウントはABCパラマウント・レコード(ABC-Paramount Records、現在のインパルス!レコードの親会社)およびABCパラマウント・レーベル(ABC-Paramount label)を1955年初頭に設立。ボストンのレコード流通業者サム・クラーク(Sam Clark) を社長に、ラリー・ニュートン(Larry Newton)をセールスマネージャー、ハリー・レヴィン(Harry Levine)を制作ディレクターに任命した。プロデューサー兼アレンジャーのシド・フェラー(Sid Feller)は同年7月15日に初の給与付き社員として雇われた[3]。
このレーベルはポール・アンカの成功によりポップス分野で早くもヒットを収めた。また若きプロデューサーであったクリード・テイラー(Creed Taylor)は、1955年にベツレヘム・レコード(Bethlehem Records)での勤務後、アービー・グリーン、ビリー・テイラー、オスカー・ペティフォード、ケニー・ドーハム、ズート・シムズらのABCパラマウント(Am-Par)初期のアルバムを制作した。
1960年、Am-Parレコードはジャズ専門の子会社を設立し、クリード・テイラーをプロデューサー兼制作マネージャーとして起用した。テイラーは新レーベル名として「Pulse」を提案したが、すでに同名のレーベルが存在することが判明したため、語頭に「Im-(イン)」を加え、Impulse!(インパルス!)という名称が誕生した。1960年代半ばには、インパルス!レコードの本社はアメリカズ・アベニュー1130番地(6番街)に移転した[4]。
- 1961年 テイラーがヴァーヴ・レコードに移籍した為、替わってボブ・シールがプロデューサー業に就く。
- 1967年 インパルスを牽引してきたジョン・コルトレーンの死去により、勢いは減退。
- 1969年 ボブ・シールが独立する。
- 1979年 親会社のABCと共にMCAレコードに売却。
- 1995年 MCA(翌年ユニバーサル ミュージック グループに改称)傘下、GRPレコードのトミー・リピューマにより活動を再開、過去のカタログを再CD化し始める。
- 1998年 ユニバーサルとポリグラムの合併によりユニバーサル ミュージック グループ傘下のヴァーヴ・ミュージック・グループの一部となる。