ウァレンティノス

2世紀のウァレンティノス派のグノーシス主義神学者 From Wikipedia, the free encyclopedia

ウァレンティノス古希: Οὐαλεντῖνος: Valentinusc.100 – c.165 CE))は初期キリスト教のグノーシス神学者である[1]エジプトで生まれ、ローマで自身の学派(ウァレンティノス派)を開いた[1]ウァレンティヌスまたはヴァレンティヌスとも表記される。

ウァレンティノスは多くの著作を残したが、現存するのは断片のみで、その多くは彼の反対者の著作の中で反論のために引用されたものであり、概略を除いて彼自身の体系を再構築するには不十分である[1]。彼の教義は、その弟子たち(ウァレンティノス派)によって発展・修正された形で知られている[1][2]。これによれば、人間は霊的人間・心的人間・物質的人間の3種が存在する。霊的本性を持つ者のみがグノーシス(霊的知識)を受けることによって神聖なプレーローマに帰還し、心的人間(一般のキリスト教徒)はより確度の低い救済を得て、物質的人間は滅びるとされる[1][3][4]。ウァレンティノスには多くの支持者(ウァレンティノス派)がおり、彼らはのちに東方派と西方派に分かれた[1]

生涯

ウァレンティノスは優れた教育を受け、プラトン哲学聖書ユダヤ教キリスト教文学に精通した[5]。4世紀のサラミスのエピファニオス英語版によれば、ウァレンティノスはエジプト沿岸地方の都市で生まれ、アレクサンドリアギリシア語の教育を受けた[6]アレクサンドリアのクレメンスは、彼の弟子たちが、テウダス英語版を通じて彼が使徒パウロの孫弟子であると述べていたと記録している[7]

ウァレンティノスは最初にアレクサンドリアで教鞭を執り、140年ごろにローマへ移った。テルトゥリアヌスは、『ウァレンティヌス論駁』第4章において、彼がマルキオンとともに、異端に転じる前は司教候補であったと記している[8]

思想

『真理の福音』

1945年にエジプトで発見されたナグ・ハマディ文書には、エイレナイオスが報告しているウァレンティノスの著作の一つと同じ名前を持つコプト語テキスト『真理の福音英語版』が含まれていた[9]。この文書は、ウァレンティノスに関連づけられる可能性がある。この考古学的発見により、ウァレンティノス研究の新たな展望が開かれた。

関連項目

脚注

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