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ウィカムのウィリアム

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ウィカムのウィリアム(William of Wykeham、1324年 - 1404年8月16日)は、中世イングランドの神学者・政治家・教育家。「ウィカム」は出身地の地名であって姓ではない。また、日本語表記にはウィッカム、ワイカムなどとする例もある。

着座 1367年
離任 1404年
前任 ウィリアム・エディントン
概要 ウィリアム・オブ・ウィカムWilliam of Wykeham, 教区 ...
ウィリアム・オブ・ウィカム
William of Wykeham
ウィンチェスター司教
教区 ウィンチェスター
着座 1367年
離任 1404年
前任 ウィリアム・エディントン
後任 ヘンリー・ボーフォート
他の役職 大法官
個人情報
出生 1324年
死去 1404年8月16日
座右の銘 "Manners makyth man." (礼節が人を作る)
紋章 ウィカムのウィリアムの紋章
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経歴

イングランドのウィカムの貧しい家庭に育つ。ウィンチェスター大聖堂で学んだ後に、1343年に侍従武官としてエドワード3世に仕える。以後、王の側近として1356年に王室付司祭、1364年に王璽尚書、1367年にはウィンチェスター司教と大法官を兼ねて事実上の宰相を務めた。この間に教区・修道院制度の改革などに努めた。

ところが、「反教権主義」論の高まりや政敵の中傷によって1371年と1376年に2度にわたって失脚した。その後、リチャード2世が潔白であると結論づけたが、1389年に大法官に再任されるまで公職には就かなかった。ジョン・ウィクリフ・トマス・アランデルの考え方にはともに同調せず、ロラード運動に対しては批判的であったが穏健に対応した。

また、晩年は教育にも力を注ぎ、1379年にはオックスフォード大学にニュー・カレッジを開設し、1394年には史上初のパブリック・スクールであるウィンチェスター・カレッジを開校して貴族以外の子弟にも門戸を開いた。

引用

ウィリアムの座右の銘は "Manners makyth man." (礼節が人を作る)であった[1]。彼が創設したオックスフォード大学のニュー・カレッジや、ウィンチェスター・カレッジのモットーでもある[1]。

参考文献

  • 『キリスト教人名辞典』(日本基督教団出版局、1986年)

脚注

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