ウィリアム・トーマス・ホートン
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ベルギーのブリュッセルでイギリス人の両親のもとに生まれた。幼いころイギリス南東部の港町ブライトンに家族と移り、ブライトンで教育を受けるが、それまではフランス語で話すことが多かった。ブリストルの建築家のもとで見習いとして建築を学び、1887年にはロンドンのロイヤル・アカデミー・オブ・アーツで建築を学び、1890年に劇場建物の構想図を制作し、賞を受賞したが[1]、建築に興味を失い、文学の仕事をしたい思うようになった。1890年代の初めにサリー州のRedhillで雑誌『Whispers: A Magazine for Surrey Folk』を創刊するが、4号で廃刊となった。小説を書いて小説家のトーマス・ハーディ(1840-1928)に助言を求めると、小説家になることを止められ、得意な建築の分野やフランス語を生かした活動をすることを勧められた。1893年に自身の建築事務所を設立するが、2か月後に倒産した。
作家兼挿絵画家として活動を始め、雑誌編集者、伝記作家のロジャー・イングペン(Roger Ingpen: 1867-1936)と親しくなり、詩人ウィリアム・バトラー・イェイツやウォルター・デ・ラ・メア、挿絵画家のオーブリー・ビアズリーらを紹介され、神秘主義、オカルティズムの人々と交流した。1896年にはロンドンに住み、イェイツやアーサー・シモンズと共にアパートを借りていた。1896年にイェイツに秘教主義教団「黄金の夜明け団」に紹介されるが長くそのメンバーでいることはなかった[2]。
1896年にオーブリー・ビアズリーとアーサー・シモンズらが創刊し2年ほど刊行された雑誌『ザ・サヴォイ』に、聖書からの引用を添えた版画「三つの幻視(Three visions)」を発表し、ホートンのイラストは注目され、有名な芸術家や美術評論家が集まる展覧会に出展できるようになり、『The Dome』『The Poster』『The Studio』などの多くの雑誌に作品を掲載することになった。