ウィリアム・ドーネイ (第7代ダウン子爵)
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第6代ダウン子爵ウィリアム・ヘンリー・ドーネイと妻リディア(Lydia、旧姓ヒースコート(Heathcote)、1773年 – 1848年3月18日、ジョン・ヒースコートの娘)の息子として、1812年5月15日にメイフェアのチャールズ・ストリートで生まれ、セント・ジョージ・ハノーヴァー・スクエアで洗礼を受けた[1]。1824年ごろから1828年ごろまでイートン・カレッジで教育を受けた後[1]、1830年3月31日にオックスフォード大学クライスト・チャーチに入学、1833年にB.A.の学位を、1837年にM.A.の学位を修得した[2]。
1834年から1854年までヨークシャー・フザールの士官を務めた[1]。
1841年イギリス総選挙で保守党候補としてラトランド選挙区から出馬、676票(得票数2位)を得て当選した[3]。1846年初に議員を辞任し、同年2月の補欠選挙では同じく保守党所属のジョージ・フィンチが無投票で当選した[3]。同年5月23日に父が死去すると、ダウン子爵位を継承した[1]。
1857年1月26日にトーキーで死去した[1]。最初はトップクリフの聖コロンバ教会(The Church of St Columba)に埋葬されたが、1857年9月に自身が建設を命じたバルダースビーの聖ジェームズ教会が完成するとそこへ移された[4]。息子ヒュー・リチャードが爵位を継承した[1]。
