ウィリアム・ホルブルック・ビアード

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生誕 1823年4月13日
ペインズヴィル(Painesville)
死没 1900年2月20日
ブルックリン(ニューヨーク)
ウィリアム・ホルブルック・ビアード
William Holbrook Beard
生誕 1823年4月13日
ペインズヴィル(Painesville)
死没 1900年2月20日
ブルックリン(ニューヨーク)
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ウィリアム・ホルブルック・ビアード(William Holbrook Beard、1823年4月13日 - 1900年2月20日)はアメリカ合衆国の画家である。動物を擬人化した風刺画(ヨーロッパでは「サンジュリー」と呼ばれるジャンル)の作品で人気のあった画家である。

オハイオ州、レイク郡のペインズヴィル(Painesville)で生まれた。独学で絵を学び、兄のジェームズ・ヘンリー・ビアード(James Henry Beard: 1812-1893) と、旅回りの肖像画家になった。1850年ころにニューヨーク州のバッファローに住むようになり、この地域では最も優れた画家とみなされた。30歳を越えた1856年にヨーロッパに修行に出てローマやスイス、ドイツを旅し、1857年から1858年の間は、多くのアメリカ人画家が学んでいたデュッセルドルフに滞在し、アルバート・ビアスタット(1830-1902)やエマヌエル・ロイツェ(1816-1868)、ワージントン・ウィットレッジ(1820-1910)といったアメリカ人画家と知り合った。

1859年に帰国し、バッファローで知り合った肖像画家、トーマス・ルクレール(Thomas LeClaire)の娘と1863年に結婚した。1861年にはニューヨークに移っていて、1862年にナショナル・アカデミー・オブ・デザインの会員に選ばれた[1]

1866年に詩人のベイヤード・テーラー(Bayard Taylor: 1825–1878)と、カンサスからコロラド州のデンバーまでを、馬や駅馬車で旅して、多くの風景をスケッチ、ニューヨークに戻った後、風景画に仕上げた。この旅の帰途、ネブラスカでヘンリー・アーサー・エルキンズ(Henry Arthur Elkins: 1847–1884)やヘンリー・チャップマン・フォード(Henry Chapman Ford: 1828–1894)、ジェームス・ファーリントン・グーキンズ(James F. Gookins: 1840–1904)といった画家と合流し、オマハを経由して鉄道でニューヨークに戻った[2]

40年近く、ニューヨークのスタジオで活動し、動物を擬人化して描いたユーモラスで風刺的な作品で人気になった。ビアードの作品は複製版画として出版された。児童書の挿絵も制作し、2度ほど画集も出版された。

作品

脚注

参考文献

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