ウィリアム・ラッシュ
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フィラデルフィアで生まれた。父親は船大工で、10代の頃には木彫り職人エドワード・カットブッシュ(Edward Cutbush)のもとで3年間徒弟修業をするうちに、船舶の船首木彫像の制作技術で師匠を超えたとされる[1] 。
独立戦争中にはパトリオットと呼ばれた独立派の民兵隊の将校として軍務に従事した。木彫の技術者として自立し、アメリカ海軍の軍艦がフィラデルフィアで造船され始めると1890年代後半から軍艦の船首像や装飾彫刻など多くの注文を受けた[2]。
1805年に画家のチャールズ・ウィルソン・ピールらとフィラデルフィアに設立されたペンシルベニア美術アカデミーの創設メンバーとなり、美術アカデミーで彫刻を教えた。1815年にジョージ・ワシントン像をアカデミーの展覧会に出展するなど、彫刻家として活動した。フィラデルフィアの地方政治に関わり、フィラデルフィア市議会の議員を20年間務めた。
ラッシュはアメリカ合衆国で屋外モニュメントを制作した最初期の彫刻家の一人とされている。主な作品にはフィラデルフィアのチェスナット・ストリート・シアターに設置され、後にフィラデルフィア美術館に収蔵された『喜劇と悲劇』(1808年)[3][4]やフィラデルフィア市庁舎に設置された噴水のための彫刻『水の妖精と水鳥』(1809年)などがあった。
1833年にフィラデルフィアで亡くなった[5]。