ウィリアム・ラパラ
From Wikipedia, the free encyclopedia
ボルドーでスペイン出身の父親のもとに生まれた。弟は作曲家であるラウル・ラパラ(1876-1943)。ボルドーの美術学校で学んだ後、1892年にパリの美術学校、アカデミー・ジュリアンに入学し、ウィリアム・アドルフ・ブグローやトニ・ロベール=フルーリー、ジュール・ジョゼフ・ルフェーブルに学んだ。22歳になった時、ローマ賞を受賞した[1]。フランス芸術家協会の展覧会に出展し[1]、アカデミー・ジュリアンで教えた。
ローマ賞を受賞していた彫刻家、ポール・ランドスキの妹 Franciszka Wanda Landowska (1879-1904)と1902年に結婚した。1904年に妻が亡くなった後、数年して、地質学者のマルセル・アレクサンドル・ベルトランの娘で、オーストリア出身の画家、ウィリー・アイゼンシッツ(Willy Eisenschitz)の義理の妹の クレール・ベルトラン(Claire Bertrand)と再婚した。1890年代の初め、パリで活動していたスペインの画家、イグナシオ・スロアガとも親しかった。
スペイン人の父親の影響もあって、スペインの風俗に興味を持ち1908年から何度かスペインに旅し、ブルゴスやマドリード、トレドに滞在した[1]。後に、イタリア、ギリシャ、エジプトも旅した。
1920年に47歳でスペイン滞在中に没した。