Wikiwand AI

ウィリアム・リュパータス

From Wikipedia, the free encyclopedia

軍歴 1907年 - 1910年(州兵)
1913年 - 1945年(海兵隊)
ウィリアム・リュパータス
William Rupertus
生誕 1889年11月14日
アメリカ合衆国
ワシントンD.C.の旗 ワシントンD.C.
死没 (1945-03-25) 1945年3月25日(55歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
バージニア州の旗 バージニア州 クアンティコ(英語版)
所属組織 コロンビア特別区州兵
アメリカ合衆国海兵隊の旗 アメリカ海兵隊
軍歴 1907年 - 1910年(州兵)
1913年 - 1945年(海兵隊)
最終階級 少将
墓所 アーリントン国立墓地
テンプレートを表示

ウィリアム・ヘンリー・リュパータス(William Henry Rupertus、1889年11月14日 - 1945年3月25日)は、アメリカ海兵隊の軍人。ペリリューの戦いのアメリカ軍指揮官の一人で、海兵隊の教書『ライフルマンズ クリード(英語版)』の著者。

グロスター岬の戦いでグロスター岬飛行場陥落を祝すリュパータス

1907年から1910年にかけてコロンビア特別区州兵に所属し、ワシントンD.C.で勤務した。元々は税関監視艇局(英語版)でカッターの船長になることを望んでいたため、1910年4月28日に税関監視艇局の養成学校に入学する。1913年5月15日、リュパータスは次席で卒業するが身体検査で不合格となり、6月18日に税関監視艇局を辞職した[1]。

税関監視艇局を辞したリュパータスは、射撃の腕を評価されてアメリカ海兵隊に招集された。1913年11月に招集を受け入れ、1915年に海兵隊養成学校を卒業した。入隊後は射撃部隊に配属され、数々の功績を挙げて勲章を授与された。アメリカが第一次世界大戦に参戦した時期は戦艦「フロリダ」に乗艦していたが、その後、ポルトープランスに派遣された。同地で3年間勤務した後に海兵隊本部運営訓練課に配属され、監督官を務めた。1929年に中華民国に派遣され、第二次上海事変が勃発した際には第4海兵連隊の大隊長を務めていた。

真珠湾攻撃の直後に『ライフルマンズ クリード(英語版)』を執筆し、熟練射撃手と海兵隊の武器の信頼性について記した。1942年3月にアレクサンダー・ヴァンデグリフトの下で第1海兵師団副師団長に任命され、師団の編成と訓練を担当した後にガダルカナルの戦いに従軍した。1943年7月8日にヴァンデグリフトの後任として師団長に就任し、カートホイール作戦、ペリリューの戦いに従軍した。1944年11月にバージニア州のクアンティコ海兵隊基地(英語版)司令官に任命されるが、4カ月後の1945年3月25日に心臓発作で死去した。同年5月2日に就役した駆逐艦は、彼の名前を冠して「リュパータス(英語版)」と命名された[2]。遺体はアーリントン国立墓地に埋葬されている[3]。

出典

参考文献

外部リンク

Related Articles

Timelines

Top Qs

Fact Checks