ウィレム・ドロステ
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ウィレム・ドロステはアムステルダム生まれと思われるが、詳細は不明である。画家のアルノルト・ホウブラーケンによると、1650年頃にはレンブラントの弟子となって緊密な関係を築き、歴史画や宗教的な主題の作品、肖像画等を作成した。1654年に『バテシバ』を描いたが、同年レンブラントが同じ主題で描いた後の作品と思われる。現在では両方ともルーヴル美術館の所蔵となっている。

ドロステは1655年までアムステルダムにおり、その後イタリアを訪れた。[2] 1650年代半ば、ドロステはローマに向かい、またヴェネツィアでドイツ人の画家ヨハン・カール・ロトと『4福音宣明者』のシリーズ(現在では消失)を共同制作したと言われている[3]。ドロステは1659年にヴェネツィアで亡くなった[2]。
ウィレム・ドロステの作品とされているものは非常に少なく、対照的に師であるレンブラント作とされているものは油彩画だけで2000点以上あるが、その多くはサインがない。近年、レンブラント作とされている作品でも、その弟子や関連する人物の作ではないかと考えられるものがある。
ドロステはレンブラントの弟子の中でも最も才能のあった画家のひとりである。ドロステの1654年の『本を持つ若い女性の肖像』は300年以上の間レンブラント作だと考えられていた。また、1897年に発見された『ポーランドの騎手(en: The Polish Rider)』(フリック・コレクション)はレンブラント作とされてきたが、ドロステ作の可能性がある[3]。