ウィンフォード・デューハースト
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ウィンフォード・デューハースト | |
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| Wynford Dewhurst | |
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ウィンフォード・デューハースト作「Evening Shadows」 (1899) | |
| 生誕 |
1864年1月26日 イギリス、マンチェスター |
| 死没 |
1941年7月9日(77歳没) イギリス、バートン・アポン・トレント |

ウィンフォード・デューハースト(Wynford Dewhurst RBA、1864年1月26日 - 1941年7月9日)のは、イギリスの印象派画家、美術評論家である。長期間フランスで活動し、クロード・モネの影響を受けた作品を描き、1904年に著書『印象派絵画:起源と発展(Impressionist Painting: its genesis and development)』を出版した。
本名はトーマス・エドワード・スミス(Thomas Edward Smith)であり、マンチェスターで[1]裕福な家庭に生まれた[2][3]。家庭教師によって教育を受けた後、ミントホルム・カレッジで法律を学んだ。芸術的な才能を示し、1892年ころに、いくつかの挿絵が様々な雑誌に掲載されたことから、画家の道に進んだ。
フランスに渡り、パリ国立高等美術学校でジャン=レオン・ジェロームに学び、その時からウィンフォード・デューハースの名前に改名した[4]。アカデミー・ジュリアンでジャン=ジョセフ・バンジャマン=コンスタンやウィリアム・アドルフ・ブグローにも学んだ。主に印象派の画家、クロード・モネの作品から影響を受けパリ近郊などで印象派のスタイルの風景画を描いた。
1897年にパリのサロンへの出展が受理された。1904年にフランス印象派に関する著作『印象派絵画:起源と発展』を発表し、クロード・モネに献呈した。この著作はフランスの印象派の画家の作品の英語で書かれた初めて研究書で、印象派の画家とイギリスの水彩画家たちジョン・コンスタブルやウィリアム・ターナーの関係などを論じた[5]。
1904年と1907年にロンドンで開かれた英国芸術家協会の展覧会に出展し、1909年から1910年のニュー・イングリッシュ・アート・クラブの展覧会に参加した。1914年から1926年の間は、ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの展覧会に出展した。
1941年にスタッフォードシャーのバートン・アポン・トレント(Burton upon Trent)で77歳で亡くなった。