ウィーン工房
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ウィーン分離派に参加していたホフマンとモーザーが、実業家フリッツ・ヴェルンドルファーの支援を受け、1903年に設立。工房は初めホイミュール通りにあり、後にノイシュティフト通り(オットー・ワーグナー設計の集合住宅)に移った。ここにショールームもあった。
住宅、インテリア、家具をはじめ、宝飾品からドレス、日用品、本の装幀など、生活全般に関わる様々な分野でデザインを行った。
1914年、ヴェルンドルファーが財産を失い、経営を離れてアメリカに移ったため、有限会社組織になった。
30年近い活動の間、ヨーロッパ各地やニューヨークにも支店を置いたが、第一次世界大戦や世界恐慌の影響もあり、苦しい経営が続いた。1932年に出資者のオットー・プリマヴェージが破産し、ウィーン工房も解散した。
特徴
主な作品

- ホフマンの設計により1904年に建設。幾何学的な形態による初期モダニズムの建築。
- ホフマンの設計によりブリュッセルに建設された邸宅建築(1905-1911年)。画家グスタフ・クリムトが食堂の壁画を描いたほか、家具から食器まで、あらゆるデザインをウィーン工房が手がけた。
- キャバレーこうもり
- 1907年、ヴェルンドルファーが出資し、ウィーンのケルントナー通りに開業した文学キャバレー。店名はヨハン・シュトラウス2世のオペレッタ「こうもり」に因む。ウィーン工房がインテリアを担当した。
- パリ万博オーストリア館
- 1925年のパリ万国博覧会(いわゆるアール・デコ博)のオーストリア館をウィーン工房が手掛け、好評を博した。
人物
- ヨーゼフ・ホフマン:工芸美術学校教授。ウィーン工房の中心として活躍。
- コロマン・モーザー:工芸美術学校教授。創立時の中心メンバーだが、4年後の1907年に脱退。
- カール・オットー・チェシュカ:工芸美術学校教授。1905年に参加。1907年、ハンブルクの工芸学校に招かれ脱退。
- オスカー・ココシュカ:チェシュカの教え子。1907年に参加。画集『夢見る少年たち』を刊行(1908年)。
- エドアルド・ヨーゼフ・ウィマー:建築家。インテリア、衣類も手がけた。
- ベルトルド・レッフラー:モーザーの教え子、画家。
- ダゴベルト・ペッヒェ:1915年に参加。平面的で優美なデザインは人気となり、「ペッヒェ風」(a la peche)はウィーン工房のデザインの代名詞になった。1923年に早世。
- フェリース・リチ・リックス:ホフマンの教え子。テキスタイルを担当。上野伊三郎と結婚し、日本で活動。
- マリア・リカルツ:壁紙、テキスタイルを担当。
