コロマン・モーザー
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コロマン・モーザー | |
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| Koloman Moser | |
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| 生誕 |
1868年3月30日 |
| 死没 |
1918年10月18日 |
コロマン・モーザー(Koloman Moser 1868年3月30日, ヴィーデン (ウィーン) - 1918年10月18日 ウィーン)は19世紀末から20世紀始めにウィーンで活躍したデザイナー。ウィーン分離派の一人。愛称はコーロ(Kolo)で、コーロ・モーザーとも呼ばれた。
ウィーンの名門学校、「Theresianum」の職員の息子に生まれ、商業学校で学んだ後、1885年に家族の反対をおして、ウィーン美術アカデミーの入学試験に登録し、合格した。1886年から1889年の間、アカデミーでフランツ・ランプラー(Franz Rumpler: 1848-1922)に学び、1889年から1890年はクリスティアン・グリーペンケールに学んだ。1890年から1893年の間はヨーゼフ・マティアス・トレンクヴァルトに学んだ。父親が1888年に亡くなった後は、ウィーンの雑誌に挿絵を描いて家族を養いながら修行を続けた。トレンクヴァルトの推薦ででオーストリア大公カール・ルートヴィヒの2人の娘の絵の教師の仕事もした。
1897年にウィーン分離派の共同創設者となり、分離派の雑誌『Ver Sacrum』の編集に関わり、挿絵を描いた。ウィーン分離派の行事や展覧会、組織運営の世話役を、単独もしくは他の芸術家と共に務めた。1898年11月に分離派の会館が開設された時、ファサードの装飾やエントランスホールのステンド・グラスなどのデザインもした。
絵画、インテリア、家具、ステンドグラス、本の装丁、ポスター、ファッションデザインなど様々な分野で活躍した才人。
1897年、クリムトが設立したウィーン分離派に参加。1900年、ウィーン美術学校の教授になった。1903年、銀行家フリッツ・ヴェルンドルファーやヨーゼフ・ホフマンと共にウィーン工房を設立。工房の中心になって活躍したが、4年ほどで工房を離れた。
- 建築家オットー・ワーグナーと関わりが深く、アム・シュタインホーフ教会のステンドグラスや祭壇なども制作した。
1916年に喉頭がんを患い、2年後に死去した。