ウォルター・ラングレー
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バーミンガムで仕立て屋の息子に生まれた[1]。15歳から版画家の工房で働いた。21歳になった時、奨学金を得てロンドンのサウス・ケンジントン美術学校(ロイヤル・カレッジ・オブ・アート)で2年間工芸を学んだ。バーミンガムに戻った後、画家になり1881年に王立バーミンガム芸術家協会(Royal Birmingham Society of Artists)の準会員に選ばれた。バーミンガムの顧客から毎年、収入が得られるようになり、その資金で家族と1882年にニューリンに移り、ニューリンで漁師などを題材に描き始めた[2] 。1884年に王立バーミンガム芸術家協会の正会員になった。バーミンガムでの友人の画家エドウィン・ハリスが1883年にニューリンに移ってきて、「ニューリン派」は形成され始めた。
労働者階級の出身で、働く人々やその家族への共感をこめて描いたことで知られる。初期の版画職人としての技術は細部の描写に生かされている。「ニューリン派」の画家たちは人気を得たが、1892年ころまで水彩画を主に描いていたこともあって、はじめラングレーの人気は高くなかったが[3]、後に評判は上がり、レフ・トルストイの著書『芸術とは何か』 (1897-98年)の中でも高く評価された[4]。