ウォルター・ロフタス・ディーン
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マサチューセッツ州ローウェルで生まれた、父親のベンジャミン・ディーン(Benjamin Dean)はイギリス生まれで祖父母とともにアメリカに移住し、弁護士になり後に、アメリカ合衆国の下院議員になった人物である。ウォルター・ロフタウス・ディーンは1873年にマサチューセッツ工科大学の建築学科に入学するが、すぐにマサチューセッツの州立美術師範学校(Massachusetts State Normal Art School、現在のMassachusetts College of Art and Design)に移り、ウォルター・スミスに学んだ。卒業後、インディアナ州のパデュー大学やボストンの夜間の絵画学校で美術教師として働いた。
1881年にフランスから移ってきていた画家のアシル・ウディノ(Achille Oudinot: 1820-1891)にボストンで絵画を学び、1882年にはフランスへ渡り、ブルターニュの海岸で7か月を過ごした後、パリのアカデミー・ジュリアンでジュール・ジョゼフ・ルフェーブルとギュスターヴ・ブーランジェに学び、その後数年間、フランスやベルギー、オランダ、イタリア、イングランドの海岸を旅し、イングランドではコーンウォールの古い礼拝堂にアトリエを構えて海洋画を描いた。
若いころから船に乗るのが好きで10代の初めに、マサチューセッツの港町グロスターの漁船で1か月間の航海をし、学生時代には余暇を小型ボートの操船に費やし多くのレースで優勝した[1]。1885年にヨーロッパから帰国した後、26トンのヨットを購入し、ニューイングランド沿岸を4か月間航海し、海岸のスケッチをした[2]。
ボストン・アート・クラブの副会長などを務め、多くの美術家団体に所属し、1893年のシカゴ万国博覧会を含む多くの展覧会に出展した[3]。1900年のパリ万国博覧会ではマサチューセッツ州の絵画審査員を務めた[4]。
1912年にグロスターで亡くなった[5]。