ウクライナの演劇
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起源
ウクライナの舞台芸術の起源は古代の民俗的伝統にのっとったゲーム、ダンス、歌、儀式などにさかのぼる。キリスト教が広まる前のウクライナのパフォーマンスは「至高の存在への深い崇拝と尊敬」に満ちていたという[1]。
中世
11世紀にはスコモローフと呼ばれる芸人たちがウクライナで活動していた。キーウにある聖ソフィア大聖堂には11 世紀に描かれたフレスコ画が残っているが、ここにはスコモローフの姿が描かれている[2]。芝居を上演する他、曲芸や人形劇、熊などの動物を使った芸などを披露していたと考えられている[2]。
近世
ウクライナの舞台芸術パフォーマンスに関する最初の文字記録は1620年代頃にさかのぼる。修道会の学校その他のウクライナの学校に入ってきたイエズス会士により西ヨーロッパから舞台上演が持ち込まれた。舞台上演はイエズス会のプロパガンダとして大規模に活用された[3]。パムヴォ・ベリンダが書き、リヴィウ主教に敬意を表して1615年に上演された『クリスマスの日の宣言』や、1619年頃のヤコブ・ヤヴァントヴィチの戯曲など、この時期の戯曲台本の中には現存しているものもある。リヴィウの近くで洗礼者ヨハネの死を祈念して1619年8月29日に上演されたウクライナの芝居の記録も残っている[3]。正教会の神学校であったキーウ=モヒラ・アカデミーは1615年から1817年にかけて演劇教育を非常に強化していた[4]。
17世紀から18世紀頃には降誕劇やクリスマスの芝居が地域のイベントとして広がった。移動する人形劇団であるベルテプが17世紀に人気を博すようになった[5]。ベルテプの人形劇は二段になっている箱型の装置を使用して上演されていた[2]。
近代

ウクライナの西部地域はオーストリア=ハンガリー帝国領であったため、西ヨーロッパからの影響が大きく、近代になってから多数の著名な演劇人を輩出している[2]。
ウクライナ最初の常設劇場は1789年にハルキウで開館した[6][7]。
19世紀初めにウクライナ各地に劇場ができはじめ、1806年にキーウ、1809年にオデーサ、1808年にポルタヴァに劇場ができた[8]。ウクライナの文学と演劇の先駆者のひとりであるイヴァン・コトリャレーウシキーはポルタヴァ劇場の支配人をつとめた[9][10]。 フリホリ・クヴィトカ=オスノヴィアネンコの戯曲も広く評価されるようになった[11]
19世紀後半にはアマチュア演劇が人気を博すようになった。最初のウクライナのプロの劇団はリヴィウのルテニア対話劇場で、1864年から1924年まで活動していた[12]。
1882年にキロヴォフラードでコリュパイオス劇場が創設された[13]。1891年にはニコライ・ソロフツォフがロシア演劇を上演するための常設劇場であるソロフツォフ劇場をキーウに作った[14]。
20世紀以降

ミコラ・サドフスキーが1907年にキーウで初めての常設のウクライナ語劇場を作った[15]。
1917年頃からソビエト連邦初期の時代まではキーウやハルキウで演劇が活況を呈した[16]。「若い劇場」(のちの「ベーレジリ劇場」)はレシ・クルバスとフナット・ユーラがキーウで設立した。クルバスは演出家、俳優、ドラマトゥルク、世界文学の翻訳者として働いており、ウィリアム・シェイクスピア、ヘンリク・イプセン、ゲアハルト・ハウプトマン、フリードリヒ・フォン・シラー、モリエールをウクライナの舞台に持ち込んだ。ベーレジリ劇場ができたことで、この舞台を用いてある種の実験的な試みが行われるようになった、ベーレジリ劇場は初めてウクライナの有名な作家であるミコラ・クリーシュやヴォロドィームィル・ヴィンヌィチェーンコの芝居をとりあげた。クルバスはスターリン主義の時代が終わるとウクライナの芸術家たちにとって非常に重要なインスピレーションの源とみなされるようになっている[17]。クルバスもクリーシュもスターリン体制下で粛清の被害にあった[18]。
1988年にウォロディミル・クチンスキーと仲間たちがリヴィウ若者ウクライナ劇場を結成し、その後レシ・クルバス劇場と改名された。レシ・クルバス劇場はウクライナにおける主要な前衛演劇の劇場として評価され、ウクライナ政府からの支援も受けるようになった[19]。
1994年にはキーウにダハ現代美術センターができた[20]。ダハ・ブラハはこの劇場から生まれたプロジェクトである[21]。
21世紀

2014年のウクライナ騒乱の際、ルハーンシクにあった主要な劇場であるアカデミック・ウクライナ・音楽ドラマ劇場はウクライナの支配区域であるセヴェロドネツィクに移転せざるを得なくなった[22]。
2018年時点で、ウクライナには公立、インディペンデント系の両方をあわせて120館以上の劇場があり、年間560万人ほどが観客として劇場を訪れていた[23]。
2022年2月、ロシアによるウクライナ侵攻のため、文化情報政策省の方針で全ての劇場の対面上演が一時中止となり、劇場関係者はリモートで活動することとなった[24]。その後、困難な状況の中でキーウでは4月頃から上演が再開された[24]。2014年にセヴェロドネツィクに移転していたアカデミック・ウクライナ・音楽ドラマ劇場は再度スームィに移転せざるを得なくなり、6月にはもともとセヴェロドネツィクにあった劇場の建物が砲撃により破壊された[25]。
2022年3月16日にはロシア軍がマリウポリのドネツク州立アカデミー劇場を爆撃し、大きな被害が出た[26]。
