ウラジーミル・ヴァシリコヴィチ
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父ヴァシリコの所有していたヴォルィーニ公位を得た後、ヤトヴャグ族との戦いを始めた[1]。1270年代にカメネツの街と城(ru)を建設した。数度に渡るヤトヴャグ族との戦いを繰り広げる一方、1279年の飢饉の年にはヤトヴャグ族への穀物の販売を行った。ジョチ・ウルスは東欧諸国への遠征(1277年にリトアニア、1283年、1286年にポーランド、1285年にハンガリー)への参加を強要したが、跛行を理由としてこれに参加しなかった。
ウラジーミルは1288年の末に死亡した。『イパーチー年代記』の1288年の項では、書物を愛する教養のある人物と記されている。ウラジーミルには相続人がなく、その所領全てをルーツク公ムスチスラフに寄贈した。