1220年にカール・ドーヴ(聾のカール)がエストニア人との戦争(リフラの戦い)で戦死すると、最も血縁の近かったウルフが次のヤールに選出された。この間に中継ぎのヤールがいた可能性もある。1222年にスウェーデン王ヨハン1世が死ぬまでには、ウルフは確実にヤールに就任している。彼は首長カールの息子であったと推定されている。
1222年、ライバルであったエリク家のエリック11世が6歳でスウェーデン王位に就いた。しかし幼少の王の権力は弱く、ウルフは王族のカヌート(後のカヌート2世)と共に権勢を誇った。
カヌート2世は1229年に王位を簒奪し、エリック11世を追放した。しかしウルフはヤールの地位を維持した。1234年にカヌート2世が死ぬと、18歳のエリック11世が復位した。彼の支持者は5年前に裏切ったウルフを快く思っていなかったが、ウルフは既に強大な勢力を誇っていたため地位を奪う事が出来なかった。
彼は莫大な資産を保持していたか、もしくは独占的な経済特権を手にしていたと考えられている。実際に、王ではなかったはずのウルフの名が刻まれた硬貨が発掘されている。