ウルリケ・マインホフ
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プロフィール
ジャーナリスト
1934年オルデンブルクに生まれる。父母はともに美術史研究家であった。父がイェーナ市の図書館に務めることになり、両親と姉とともに同市へ移った。1940年に父が病死したため、母親の友人で社会主義者の女性大学教授のもとに下宿し同居生活を始めた。1945年からイェーナがソ連占領地域になったため、同居女性とともに一家はオルデンブルクに移転した。1949年に教師として働いていた母も癌で亡くし、同居女性がマインホフと姉の後見人となる。マールブルク大学、次いでミュンスター大学に学び、核兵器反対運動等で学生闘士として注目される。1959年にドイツ共産党に加わる。
ピルや中絶などを取り扱う左翼的な雑誌「コンクレート」誌の記者となり、彼女の記事は評判となった。1962年から1964年には編集長を務めた。この頃、映画監督であるミヒャエル・ハネケと知り合った。ハネケはウルリケ・マインホフのことを「とても好感が持て、温かい心を持った、政治に積極的に参加していて、そのうえユーモアに富んだ人間だった」と評している[2]。
1961年、同誌の発行人クラウス・レールと結婚、翌年二児(女児の双子)をもうけたが、1967年に離婚。夫が養育権を得た。のちに、マインホフは、シンパに依頼し、1970年5月、娘たちを夫の元から奪い、フランスを経て、イタリアのエトナ山のふもとのヒッピー・コミューンに預けた。そこからヨルダンのパレスチナ解放人民戦線のキャンプに合流させようとしたが、9月に2児はイタリアで国際刑事警察機構によって保護された[3][4]。
テロリスト

ルディ・ドゥチュケの暗殺未遂事件や右翼を扇動したメディア王アクセル・シュプリンガーについての記事を書いたころから思想が過激化していった。1970年、アンドレアス・バーダー、グドルン・エンスリンが率いる極左地下組織に参加、「バーダー・マインホフ・グルッペ」を編成し、テロリストになった。1970年6月からは日本の赤軍派に触発されてドイツ語で「ドイツ赤軍」を意味するRote Armee Fraktion(RAF)を名乗るようになった[5]。マインホフは1970年にバーダーの脱獄を助けたのち、ヨルダンのパレスチナ解放人民戦線のキャンプにて訓練を受ける傍ら、RAFの理論的・思想的支柱として活動した。RAFは反帝国主義のスローガンのもと、1970年から1972年にかけて数多くの銀行強盗や爆弾テロ事件を引き起こした[5]。
1972年に仲間とともに逮捕され、シュトゥットガルトのシュタムハイム刑務所に収監される。1975年5月から、マインホフ、バーダー、エンスリン、ジャンカール・ラスペのRAF幹部4人の裁判が始まった。マインホフは1976年に獄中で死亡し、首吊り自殺と発表された[5]。
幹部の逮捕でRAFは一時弱体化した。残党による奪還テロが激化する中、マインホフ以外の3人も判決後全員獄中死し、同じく自殺と発表された[5]。1976年5月16日に西ベルリンの聖三位一体教会に埋葬された際には4000人以上のシンパがつめかけ、安全面への配慮から、2人の娘は自宅に留め置かれた[6]。
マインホフの脳は26年間もホルマリン漬け保存されていたが、2002年に娘が返還を求め、遺体とともに埋葬された[7]。
マインホフを巡る議論
マインホフに関しては、その死因を『権力による処刑』と主張するシンパ側の主張がある[6]。他に、冷静なジャーナリストがなぜ凶悪なテロリスト集団のリーダーとなったのかという議論に関して、元夫と娘のBettinaは「双子の妊娠後に発覚した脳腫瘍とその手術による脳損傷で性格が変わってしまった」と主張している[8]。対して、手術を担当した医師はマインホフがテロリストとなる前に発表した論文でマインホフを匿名で紹介した上で、「完璧な手術だった」としている[8]。
派生作品
- 絵画“October 18, 1977”(ゲルハルト・リヒター) - マインホフを含むRAFの主要メンバー4人の獄中死をテーマにしたフォト・ペインティング15枚の連作[9][10]。
- 戯曲『ウルリーケ・マリア・スチュアート』(Ulrike Maria Stuart、エルフリーデ・イェリネク、2006年)- ウルリケとグドルン・エンスリンとの関係をメアリー・スチュアートとエリザベス1世の関係になぞらえて描いた戯曲。
- 映画『バーダー・マインホフ/理想の果てに』(2008年、ウーリ・エーデル監督 ベアント・アイヒンガー脚本・製作)
- 映画『革命の子どもたち』(2010年、シェーン・オサリバン監督) - マインホフの娘ベティーナ・ロールと、日本赤軍の重信房子の娘重信メイの視点から2人の女性革命家の素顔と母親としての姿を描いたドキュメンタリー映画。