ウーマンハウス
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ウーマンハウス(Womanhouse)は、1972年1月30日から2月28日にかけてロサンゼルスで公開された、フェミニズムアート運動のインスタレーションおよびパフォーマンスのプロジェクトである[1][2]。ジュディ・シカゴとミリアム・シャピロが、カリフォルニア芸術大学(カルアーツ)のフェミニスト・アート・プログラム参加者や地域の女性作家らとともに、老朽化した住宅を改修して制作した[1][3]。後年の研究や回顧では、ウーマンハウスは初期フェミニスト・アートを代表する企画の一つと位置づけられている[4]。
この企画では、家は単なる展示会場ではなく、月経、家事、結婚、育児、性役割、美、老い、私的空間、夢想、恐怖といった主題を住宅空間全体を通じて可視化する総合環境として構成された[3][5]。国立女性美術館は、ウーマンハウスを、家が女性の場所とされてきた考え方を問い直した企画として紹介している[6]。
ウーマンハウスは、ジュディ・シカゴが1970年にカリフォルニア州立大学フレズノ校で始めた女性中心の美術教育実践を、1971年にカルアーツへ移し、ミリアム・シャピロとともに発展させたフェミニスト・アート・プログラムのなかから生まれた[1][5]。シカゴは、女性の作品を男性中心の美術制度とは異なる文脈で提示する必要を意識しており、その延長上でウーマンハウスを構想した[1][5]。
1972年カタログ本文によれば、ウーマンハウスは1971年秋の初めに始まり、フェミニスト・アート・プログラムの美術史家ポーラ・ハーパーがその着想を示した[3]。計画当初、プログラムには制作のための十分な空間が与えられておらず、参加者たちは会場となる家を探して、ハリウッドのマリポサ通りにある古い家屋を見つけた[3]。カタログは、この家屋の所有者を Amanda Paslter と記している[3]。
会場住所については後年資料に 533 Mariposa と 553 Mariposa の揺れが見られるが、テンマ・バルダッチによれば、1972年カタログはマリポサ通り533番地を記録している[4]。
家屋改修と共同制作
カタログによれば、1971年11月8日、23人の女性がマリポサ通り533番地に到着し、モップ、ほうき、塗料、バケツ、ローラー、研磨器具、壁紙などを持ち込んで作業を始めた[3]。会場となった家屋は、後年の回顧では17室からなる建物として言及されている[7]。以後およそ2か月にわたり、壁の修繕、窓の交換、間仕切りの設置、床の研磨、家具製作、照明設置などが行われた[3]。カタログ本文は、26枚の割れた窓を交換したこと、破壊されていた階段手すりの代わりに330本の丸棒を塗装・ニス塗りして用いたことなども記している[3]。
シカゴはこの作業を、女性たちが技術を学ぶための教育過程の一部として説明している[3]。カタログでは、参加者たちの多くがそれまで「料理し、縫い、掃除し、アイロンをかけて一生を過ごす」ことを期待されていたこと、そうした性別役割の外にある身体的・技術的経験を集団的かつ個人的に獲得することがウーマンハウスの重要な目的だったことが述べられている[3]。
この意味でウーマンハウスの改修作業は、単なる展示準備ではなかった。シカゴは後年、ウーマンハウスが「まず空間そのものを構築することから始まった」プロジェクトだったと回顧している[5]。アメリカ美術史家協会(AHAA)の機関誌『Panorama』もまた、シカゴの実践の中心に教育方法があったことを強調しており、ウーマンハウスを作品制作と教育過程とを切り離さない試みとして位置づけている[1]。
教育実践としてのウーマンハウス
ウーマンハウスの意義は、完成した作品群だけでなく、その前提となった教育実践にもある。フェミニスト・アート・プログラムでは、円座による討議と意識化の手法が用いられ、参加者は自らの経験を共有しながら作品主題を探った[8][1][5]。シカゴは、女性の歴史や女性作家の仕事を教育の中心に置き、全員が発言する方法を重視した[1][5]。ウーマンハウスは、その教育理念が共同制作と空間構成を通じて具体化した事例であった[8][1][5]。
ただし、その教育実践は理想化された共同体ではなかった。カタログでは、集団的作業が肉体的にも心理的にも厳しいものであったこと、参加者が達成感と同時に疲労や反発も経験したことが示唆されている[3]。『ArtReview』も、ウーマンハウスが協働的で非権威的な教育を志向しながらも、学生にとっては肉体労働や集団制作の重圧を伴う場でもあったことを伝えている[9]。このためウーマンハウスは、女性の連帯の象徴であると同時に、フェミニスト教育とコレクティブ制作の困難を露出した場としても理解されている[9][4]。
展示空間の構成
1972年カタログの部屋一覧では、Personal Environment、Leaf Room、Dollhouse Room、Dining Room、The Kitchen、Eggs to Breasts、Aprons in Kitchen、Bridal Staircase、Crocheted Environment、Menstruation Bathroom、Garden Jungle、The Nursery、Shoe Closet、Red Moon Room、Painted Room、Nightmare Bathroom、Linen Closet、Personal Space、Leah’s Room from Colette’s Chérie、Lipstick Bathroom、Necco Wafers などが掲げられている[3]。この一覧は、ウーマンハウスが単一の主題展示ではなく、住宅の諸室を用いて複数の女性経験を並置した総合環境だったことを示している[3][5]。
シカゴは後年、ウーマンハウスが「女性たちが洗い、料理し、縫い、掃除し、アイロンをかけながら抱く白昼夢」保管庫になったと振り返っている[5]。タイム誌も、ウーマンハウスを「悪夢の家」と呼び、外見は普通の家でありながら、内部では何世代にもわたる女性たちのイメージや幻想が埋葬されたような空間になっていたと描写した[10]。
主要な部屋・作品
初期ページに記載された部屋・作品
Personal Environment は Judy Huddleston による作品である。カタログでは、日常とは異なる世界に包まれるような空間として説明されている[3]。
Leaf Room は Ann Mills による作品である。楕円形の天井や窓の外に見える葉を手がかりに、葉を部屋全体へ広げた作品である。カタログでは、葉は身を隠すものでもあり、自分を表に出すものでもあると説明されている。また、季節の移り変わりや生と死の循環も重ねられている[3]。これは、Leah’s Room とは別の作品である[3]。
Dollhouse Room は Sherry Brody と Miriam Schapiro による作品である[3]。家庭は安全で快適な場所とされる一方で、その内部には不安や恐怖もある。この作品は、そうした家庭の二面性を、人形の家や蛇、熊、怪物、サソリ、人魚などのイメージを通じて表したものである[3]。
ダイニングルーム・キッチン
Dining Room は Beth Bachenheimer、Sherry Brody、Karen LeCocq、Robin Mitchell、Miriam Schapiro、Faith Wilding による共同制作である[3]。七面鳥、ハム、パイ、ワイングラス、果物などを用いて、豊かで華やかな食卓を作り出した。ただし、その食卓は自然な家庭の食事というより、儀礼的で演出された空間として構成されていた[3]。
The Kitchen は Robin Weltsch による作品である[3]。ピンクに塗られた台所に、缶切り、こし器、ミキサー、鍋、オーブン、缶、ガラス容器、水道金具、エプロン、ジューサー、流しなどが並べられた。家事に使われる物を集めることで、台所という空間そのものを強調した作品である[3]。
Aprons in Kitchen は Susan Frazier による作品である。エプロンに乳房や乳首の形が組み込まれており、家事、母性、女性の身体が結びつけられている[3]。本文末尾は “Release me.”(「私を(家庭や家事から)解放して」の意)と結ばれており、養育する役割が、同時に女性を縛るものでもあることを示している[3]。
Eggs to Breasts は Vicki Hodgetts による作品である[3]。卵の形が乳房の形へと変化していく構成によって、食物、母乳、養育、女性の身体を結びつけている[3]。カタログでは、この発想が個人だけでなく、参加者たちの共同の発想から生まれたことも述べられている[3]。
後年の文献では、これらの台所関連作品がまとめて論じられることもある。しかし、1972年のカタログでは、The Kitchen、Eggs to Breasts、Aprons in Kitchen は別々の項目として記載されている[3][4]。
浴室・階段・押入れ・私室
Menstruation Bathroom はジュディ・シカゴによる作品で、ウーマンハウスを代表する作品の一つである[2][3]。白く清潔に整えられた浴室の中に、月経の痕跡だけが隠しきれないものとして置かれている。カタログでは、月経は隠されたり、恥じられたり、何事もないように扱われたりするものとして説明されており、この作品はその「女性の隠された秘密」を見える形にしたものであった[3]。
Crocheted Environment は Faith Wilding による作品である。編み物によって包み込むような空間を作り、女性たちの古い住居や「子宮のような避難所」を思わせる場として構成された[3]。
Bridal Staircase は Kathy Huberland による作品である[3]。花嫁の像が階段を下るように配置されている。カタログでは、幼いころに抱く童話的な結婚への憧れが、階段を下るにつれて崩れ、最後には白い長い脚だけが壁に残る作品として説明されている[3]。
Linen Closet は Sandy Orgel 名義で記載される作品である[3]。リネン棚の中に女性の身体を置くことで、女性が寝具や収納、家事の領域に押し込められてきたことを表している。カタログでは、来場した年配の女性の「女性はまさにここにいたのだ――シーツのあいだと棚の上に」という言葉が紹介され、「今こそクローゼットから出る時だ」と結ばれている[3]。
Personal Space は Janice Lester による作品である[3]。理想の寝室や、自分だけが入れる秘密の部屋への憧れをもとにした作品である。カタログでは、その内側の部屋は避難所であると同時に、逃れられない罠でもあると説明されている[3]。
Nightmare Bathroom は Robin Schiff による作品である。浴室は一人になれる私的な場所である一方で、裸、鏡に映る顔、他人に侵入される不安、排水口に吸い込まれるような恐怖を感じる場所でもある。この作品は、そうした浴室の不安を表したものである[3]。
子供部屋・靴箱・赤い月・絵画化された部屋
The Nursery は Shawnee Wollenman による作品である[3]。子供が生まれる前から母親が思い描く子供部屋を扱った作品である。巨大な家具や玩具を使い、子供から見た大きな世界を感じさせる空間にしている。カタログでは、男児にも女児にも偏らない、できるだけ両性具有的な空間として構想されたことが述べられている[3]。
Shoe Closet は Beth Bachenheimer による作品である。靴への執着を主題とし、多くの靴で満たされた空間を作っている。靴そのものが欲望や装飾の対象になるよう構成された作品である[3]。
Red Moon Room は Mira Schor による作品である[3]。夜、昇る月、血のように赤い月、紫の岩山などのイメージを用い、自分自身の暗い側面を部屋として表した作品である[3]。
Painted Room は Robin Mitchell による作品である。床、壁、家具、天井に色を広げ、部屋そのものを絵画のようにすることを目指した作品である[3]。
退廃・化粧・庭・動物性
Leah’s Room from Colette’s Chérie は Karen LeCocq と Nancy Youdelman による作品である[3]。コレットの小説『シェリ』に登場する女性をもとにした部屋である。薔薇模様の壁紙、ピンクのヴェール、柔らかな布などによって、美しく豪華でありながら息苦しい空間が作られている[3]。同じ部屋で行われたパフォーマンスでは、化粧を何層にも重ねる行為を通じて、老い、美の喪失、女性が外見を保つよう求められる圧力が表現された[3]。
Lipstick Bathroom は Camille Grey による作品である[3]。毛皮、200本のプラスチック製の口紅、赤い照明、赤い髪、赤い唇、赤いガウンなどを用い、化粧された女性像を過剰に舞台化した作品である。カタログでは、この舞台化された女性像が「不条理」でもあることが示されている[3]。
Necco Wafers は Christine Rush による作品である。庭の自然な色とは対照的に、パステル調の非現実的な「幻想の空」を地面に描いた作品である[3]。
Garden Jungle は Paula Longendyke による作品である[3]。動物の骨格、繁茂する植物、枯れた植物などを組み合わせ、原初的なジャングルのような環境を作った作品である。カタログでは、動物性と人間の存在がつながっているという考えが示されている[3]。
パフォーマンス
1972年カタログによれば、ウーマンハウスの居間は劇場として用いられ、ジュディ・シカゴ主導のパフォーマンス・ワークショップから複数の上演作品が生まれた[3]。これらは、女性たちが非公式な作業セッションのなかで自らの生活の側面を演じたことから発展したものであった[3]。
カタログは、最初の作品として Three Women を挙げ、そこでは「したたかな女」「ヒッピー風の娘」「無邪気で母性的な女」といった女性類型が探られたとしている[3]。この作品では、はじめは着飾り、魅力的に見える女性像が、やがて外的役割のなかで生きることの痛みを露出する構成をとっていた[3]。
また、パフォーマンスには「維持労働の作品群」と呼ばれる上演が含まれ、その一つである Ironing では大きなシーツにアイロンをかける行為が、別の作品では劇場の床を磨く行為が舞台化された[3][2]。カタログは、こうした作品を、女性が家事労働に費やす時間をめぐるものとして位置づけている[3]。
Cock and Cunt Play は、ウーマンハウスを代表するパフォーマンスの一つである[2][3]。カタログはこれを、男女のあいだの家事分担と性的要求をめぐる古典的対立を扱う作品として紹介し、二人の女性がそれぞれの性器を示す plastic “dart” を着けて演じたとしている[3]。テンマ・バルダッチは、この作品を、性差に基づく役割分担を自然なものとみなす通念を誇張とパロディによって崩す実践として読んでいる[4]。
カタログでは、Faith Wilding の Waiting に連なる反復的独白や、出産・母性・養育を扱う集団的身体パフォーマンスにも言及がある[3]。そこでは “waiting to be picked up”, “waiting to grow up and leave home”, “waiting to live” といった反復が示され、最終的には聖歌と歌を伴う出産儀礼の場面へ展開したことが記されている[3]。
同時代受容
公開当時、ウーマンハウスは広い注目を集めた。タイム誌は、26人の女性作家が17室からなる家屋を変貌させ、約4,000人が来場したと報じている[10]。他方、シカゴは後年、会期中に数千人が訪れ、メディア報道もきわめて多かったと回顧している[5]。アメリカ美術史家協会(AHAA)の機関誌『Panorama』も全国的なメディアの注目を受けたと述べており、数値の揺れはあるものの、ウーマンハウスが当時から広く注目されたことは確かである[1]。
一方で、その受け止められ方にはジェンダー化された視線も含まれていた。後年の研究では、1972年の『ロサンゼルス・タイムズ』におけるウィリアム・ウィルソンの “Lair of Female Creativity” と題する評が、女性を身体、家事、自然へ回収する同時代的な固定観念を露出していたものとして批判的に参照されている[4]。このためウーマンハウスは、作品内容だけでなく、それに対する反応を通じても、1970年代初頭のジェンダー観を示す出来事だったとみなされている[4]。
後年の再評価
後年、ウーマンハウスはしばしば1970年代フェミニスト・アートの「本質主義」の典型のように読まれてきた。月経、台所、花嫁、家事などの主題を前景化していたためである[4]。だがテンマ・バルダッチは、この理解が一面的だと論じている。彼女によれば、ウーマンハウスの作家たちは誇張とパロディを用いて、女性を家庭へ限定する本質主義的ステレオタイプをむしろ掘り崩していた[4]。
テンマ・バルダッチはさらに、ウーマンハウスを、白人・中産階級・異性愛的主婦役割の反復を通じて、その演技的な性格を露出する作品として読む[4]。この見方に立てば、ウーマンハウスは「女性性の本質」を称揚する作品というより、性別役割がいかに演じられ、維持されているかを明らかにする初期フェミニスト作品として再評価されている[4]。
限界と批判的検討
保存・再制作・影響
ウーマンハウスの評価史を複雑にしているのは、その多くが一時的なもので、物質的に残りにくかったことである。テンマ・バルダッチは、会場の家屋が現存せず、作品の多くも失われたため、現在では写真、映画、カタログ、一部作品の再制作などによってしか全体像を再構成しにくいと述べている[4]。
他方で、ウーマンハウスは忘れ去られたわけではない。シカゴは後年に Menstruation Bathroom の再設置を行っており[2]、国立女性美術館の2018年展「Women House」は、ウーマンハウスを家とジェンダーの関係を問い直す歴史的先例として参照している[6]。アメリカ美術史家協会(AHAA)の機関誌『Panorama』もまた、シカゴがのちに教育アーカイブの構築やフェミニスト・アート教育の記録化に関わったことを述べている[1]。