エイメ・デュ・ビュク・ド・リヴェリ
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エイメ伝説
多くの人々が信じているところによれば、消息を絶った彼女はオスマン帝国のハレムに献上され、のちの皇帝マフムト2世を生んだという。
諸書に記されたエイメの後半生は、おおよそ以下のようにまとめられる。
- エイメは家族と離れて船旅をしていたときに、海賊に襲われて行方を絶った。彼女の身柄は海賊の手から手に渡って、最後には地中海のムスリム(イスラム教徒)海賊を支配するアルジェリアの総督(デイ)の手からオスマン帝国の皇帝アブデュルハミト1世のハレムへとに献上された。ハレムに入ったエイメは「飾られた声」という意味をもつ「ナクシディル」というトルコ名を与えられ、その美貌と名家育ちの気品からたちまち皇帝の心をとらえた。アブデュルハミトの寵愛を受けたエイメはやがて皇子マフムトを生み、スルタンの夫人としての扱いを受けるようになった。そしてのちに息子マフムトがスルタンになるとその母后となり、同じころフランスで皇后になっていた従姉と別の道で栄華を極めるという数奇な運命を辿ったのである。
このエイメの物語は、欧米では19世紀後半以来、様々な本で取り上げられてほとんど定説のようにみなされており、今では本国トルコでも多くの人が事実であると考えている。日本でも、塩野七生のエッセイ「ハレムのフランス女」(『イタリア遺聞』所収)などで紹介されたことを通じて有名になった。
さらに諸書においては、エイメについて
- 教養ある西洋人女性のエイメは夫アブデュルハミト1世やその後継者であるセリム3世、そして息子マフムト2世の西洋に対する外交政策や、西洋化政策のアドバイザーとなった。
- マフムト2世はエイメによってキリスト教徒式の教育を受けた。そのため彼は表向きはムスリムであってもキリスト教徒に親しみを持っていた。マフムト2世が諸宗教の信徒を平等に扱う政策をとることができたのはそのおかげである。
- マフムト2世の治世にオスマン帝国がロシア帝国と講和してナポレオンのフランス帝国と対立する陣営に回り、ロシア遠征によるナポレオンの没落の遠因をつくったのは、母のエイメが従姉ジョゼフィーヌと離婚したナポレオンを恨んで息子を動かしたからである。
- エイメは表向きはイスラム教に改宗していたが、死にあたってガラタにあるカトリックの修道院から司祭を宮殿に呼ぶよう息子に頼み、ひそかにキリスト教徒として亡くなった。
といったエピソードが見られる。
このほか、彼女がハレムの間の闘争や政治闘争から自身や息子マフムトを如何に守り抜いたかについて、豊富なエピソードが残されている。
