エカテリーナ・ユンゲ
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サンクトペテルブルクに生まれた。貴族の家柄で父親のフョードル・ペトローヴィチ・トルストイ(Fyodor Petrovich Tolstoy: 1783-1873)はロシア帝国美術アカデミーの副会長で、エカテリーナは父親の2番目の配偶者の娘で、異母姉に作家のマリア・カメンスカヤがいる。有名な文学者レフ・トルストイ(1828-1910)の父親、ニコライ・イリッチ・トルストイ(Nikolai Ilyich Tolstoy:1794–1837)と父親はいとこである。
文学や音楽を愛する家庭で、多くの文化人を客として迎えた。10歳になる前のエカテリーナが父親の邸を訪れた、すでに有望な文学者と見なされていたレフ・トルストイに会ったことが、後に回想録に記されている。
1860年から1861年にかけて、両親と一緒にドイツとフランスを経てイタリアに旅し、ダヴィンチの壁画「最後の晩餐」に感銘を受けた。フィレンツェでロシア出身の画家、ニコライ・ゲーや、彫刻家のパルメン・ペトロヴィッチ・ザベロらに会った。
1863年9月に、眼科医で、サンクトペテルブルクの医学校の教授のエデュアルド・ユンゲと結婚した。夫は眼科の教授として働くとともに、ワイン用のブドウ栽培と育種の研究にも取り組んでいた。夫は1883年まで軍の医学校の校長をした後、農学校の校長に転じた。1883年にクリミアに広大な農地を購入し、ワイン造りの実験を始めた。
エカテリーナの画家としての活動は、画家の訓練を父親から受けた後、デュッセルドルフに旅し、風景画家のオスヴァルト・アッヒェンバッハと風俗画家のバンジャマン・ヴォーティエから指導を受け、パリに旅した時は風景画家のシャルル=フランソワ・ドービニーの指導を受けた。水彩で風景を描き、ロシアの水彩画家協会の展覧会に出展した。1864年に美術アカデミーの展覧会で銀メダルを受賞した。
1882年から1887年まで、キエフの美術学校で教師として教え、後にモスクワの美術学校でも教えた。1885年に美術アカデミーの名誉会員の称号を得た。
レフ・トルストイとは1884年に再び会う機会があり、その後、連絡を取り合い、トルストイの小説『ハジ・ムラート』の執筆のための資料を提供したとされる。