フョードル・トルストイ

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生誕 (1783-02-21) 1783年2月21日
ロシア、サンクトペテルブルク
死没 1873年4月25日(1873-04-25)(90歳没)
ロシア、サンクトペテルブルク
フョードル・トルストイ
Фёдор Толстой
セルゲイ・ザリャーンコによる肖像画 (1850)
生誕 (1783-02-21) 1783年2月21日
ロシア、サンクトペテルブルク
死没 1873年4月25日(1873-04-25)(90歳没)
ロシア、サンクトペテルブルク
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フョードル・ペトロヴィチ・トルストイロシア語: Фёдор Петро́вич Толстой, ラテン文字転写: Fyodor Petrovich Tolstoy1783年2月21日 - 1873年4月25日)は、ロシアの画家、彫刻家、彫金家である。

サンクトペテルブルクで生まれた。トルストイ家のピョートル・アンドレーエヴィチ・トルストイ(1645-1729)の孫で政治家のアンドレイ・イワノビッチ・トルストイ伯爵(1721-1802)が祖父で、先祖と同名の父親のピョートル・アンドレーヴィチ・トルストイ伯爵(Pyotr Andreevich Tolstoy: 1746-1822)は軍人であった。有名な文学者レフ・トルストイ(1828-1910)の父親はフョードル・トルストイのいとこにあたる。

母親から絵を学び、4歳の時に描いた作品がトレチャコフ美術館に所蔵されている。1795年にポロツクのイエズス会の学校に入学し、絵画と科学を学んだ。1796年にパーヴェル1世が皇帝に即位した後、父親は解雇された。

1798年6月から1802年6月まで、海軍士官候補生学校で学び[1]、その後、有名な科学者の指導の下で訓練を受けた。同時に独学で、静物画や肖像画、風景画を描き、ロシア帝国美術アカデミーを訪づれ、肖像画家のオレスト・キプレンスキーらに学んだ。

1804年に海軍を退役し美術に専念し、蝋を素材にしたレリーフやミニアチュールの肖像画、彫金(メダル制作)などの分野で活動した。1810年からサンクトペテルブルク造幣局で働き、1812年のナポレオンによるロシア戦役(ロシアでは祖国戦争と呼ぶ)を題材にしたメダルを作成した。

1828年に美術アカデミーの副学長に任じられ、後に教授になった。彫刻家として、モスクワの救世主ハリストス大聖堂などの装飾彫刻の仕事もした。

1873年にサンクトペテルブルクで亡くなった。娘のエカテリーナは画家になり、眼科医で、サンクトペテルブルクの医学校の教授のエデュアルド・ユンゲと結婚した[2]

作品

脚注

参考文献

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