エグリン空軍基地
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概要
エグリン空軍基地は、1935年にバルパライソ射爆場として開設され、墜落事故で殉職したフレデリック・I・エグリン中佐にちなみ、1937年にエグリン・フィールドと命名された[2]。
1940年5月にチョクタハッチー国有林内の9,757ヘクタール(24,111エーカー)を購入する予算要求が行われ[3]、10月18日に森林局から陸軍省に土地が移管された。1941年5月15日にアメリカ陸軍航空隊試験場が開設された[4][5]。
第二次世界大戦中の1942年3月9日から3月25日にかけて、ジミー・ドーリットル中佐ら将兵147名が日本本土空襲に向けた訓練を行っている"[6]。
1943年1月29日には、B-24爆撃機を編隊援護機に改造したXB-41が納入されて性能試験が行われたが[7]、3月21日に実戦使用は不適として計画中止とされた[8]。また、反跳爆弾の投下試験を1945年4月28日にA-26改造機を用いてチョクタハッチー湾で行ったが、投下後に跳ね返った爆弾が機体尾部を破壊したため墜落[9][10]、墜落事故の影響によりアメリカ陸軍航空隊は反跳爆弾を使用した攻撃への関心を失った[11]。
第二次世界大戦終結後の1947年にアメリカ空軍が発足後も基地は各種研究開発拠点として運用され、1948年6月にエグリン空軍基地へ名称変更された[12]。
所在部隊
エグリン空軍基地には、以下の部隊が所在している[13][14][15]。
- 空軍資材コマンド隷下
- 第19空軍
- 第33戦闘航空団
- 第33作戦群
- 第58戦闘飛行隊 - F-35A
- 第60戦闘飛行隊 - F-35A
- 第33作戦支援中隊
- 第337航空管制中隊
- F-35情報正規訓練班
- 第33整備群
- 第33航空機整備中隊
- 第33整備運用中隊
- 第33整備中隊
- 第33作戦群
- 第82訓練航空団
- 第82訓練群
- 第359訓練中隊
- 第82訓練群
- 第33戦闘航空団
- 航空戦闘軍団隷下
- 第16空軍
- 第688サイバー空間航空団
- 第690サイバー空間作戦群
- 第692サイバー空間作戦中隊
- 第690サイバー空間作戦群
- 第688サイバー空間航空団
- 空軍戦闘センター
- 第53航空団
- 第53試験評価群
- 第85試験評価飛行隊 - F-15C、F-15E、F-15EX、F-16C/D
- 第53試験評価群
- 第350スペクトラム戦航空団
- 第350スペクトラム戦群
- 第16電子戦中隊
- 第23電子戦中隊
- 第36電子戦中隊
- 第68電子戦中隊
- 第513電子戦中隊
- F-35パートナー支援施設
- 第850スペクトラム戦群
- 第39電子戦中隊
- 第388電子戦中隊
- 第350スペクトラム戦群
- 第53航空団
- 空軍予備役軍団隷下
- 第10空軍
- 第926航空団
- 第926作戦群
- 第84試験評価飛行隊 - F-15C、F-15E、F-15EX、F-16C/D
- 第926作戦群
- 第926航空団
- 空軍作戦評価試験センター
- 第2分遣隊
- 第1特殊部隊コマンド
- 第7特殊部隊グループ
- アメリカ艦隊総軍隷下
- 海軍遠征戦闘コマンド
- 海軍爆発物処理学校
- アメリカ宇宙軍戦闘部隊コマンド隷下
- ミッションデルタ2
- 第20宇宙監視中隊
- アメリカ統合参謀本部第6部
- 統合展開分析チーム
教育機関

エグリン空軍基地内において、オカルーサ郡学区がエグリン小学校を運営している[16]。
国家歴史登録財と国定歴史地区
動植物
人口動態
2020年の国勢調査では、エグリン基地国勢調査指定地域(Census-designated place, CDP)には3,006人が居住しており、人種構成は白人が53.8パーセント、アフリカン・アメリカンが12.8パーセント、ネイティブ・アメリカンが0.3パーセント、アジア人が2.5パーセント 、太平洋諸島系が0.4パーセント、混血8.3パーセント、ヒスパニック・ラテン系が21.3パーセント、その他の人種0.6パーセントとなっている[23]。