エズメ・ステュワート (第3代レノックス公)
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| エズメ・ステュワート Esmé Stewart | |
|---|---|
| 第3代レノックス公 | |
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| 在位 | 1624年1月16日 - 7月30日 |
| 称号 |
マーチ伯 第7代オービニー領主 コブハム領主 |
| 出生 |
1579年 |
| 死去 |
1624年7月30日 |
| 埋葬 |
1624年8月6日 |
| 配偶者 | キャサリン・クリフトン |
| 子女 | 本文参照 |
| 家名 | ステュアート・オブ・ダーンリー家 |
| 父親 | 初代レノックス公エズメ・ステュワート |
| 母親 | カトリーヌ・ド・バルサック |
第3代レノックス公エズメ・ステュワート(Esmé Stewart, 3rd Duke of Lennox, 1579年 - 1624年7月30日)は、スコットランド貴族。父方でイングランド王ジェームズ1世のはとこにあたる。劇作家ベン・ジョンソンのパトロンであり、ジョンソンは5年間レノックス公の家に住んでいた。
エズメは、スコットランド系フランス人でスコットランド王ジェームズ6世の寵臣であった初代レノックス公エズメ・ステュワート(1542年 - 1583年)と、その妻カトリーヌ・ド・バルサック(1630年以降没)の次男である。母カトリーヌは、アントラーグ卿ギヨーム・ド・バルサックとその妻ルイーズ・デュミエールの娘であった。
1608年2月9日、エズメはホワイトホール宮殿で、ハディントン子爵ジョン・ラムゼイとエリザベス・ラドクリフの結婚を祝うため、仮面劇『The Hue and Cry After Cupid』に出演した[1]。
子のなかった兄、第2代レノックス公・初代リッチモンド公ルドヴィック・スチュワート(1574年 - 1624年)の死後、リッチモンド公位は消滅したため、父方のレノックス公位を継承した。エズメは当時、イングランド貴族のマーチ伯位(1619年)と妻の権利に基づきレイトン・ブロムズウォルドのクリフトン男爵位を既に受けていた[2]。エズメは父の死後、兄が継承しなかった[3]フランスの第7代オービニー領主となった[4][5][6]。
1624年7月30日にノーサンプトンシャーのカービー・ホールで「斑点熱」で亡くなり[8]、1624年8月6日にウェストミンスター寺院の、ヘンリー7世(王位に就く以前リッチモンド伯であった)の礼拝堂の南東後陣礼拝堂にあるリッチモンド納骨堂に埋葬された[9]。
