トム・ペティと「Stop Draggin' My Heart Around」のレコーディングをしている時、ニックスはペティの最初の妻のジェーンに夫婦が出会った頃のことを尋ねた。ジェーンは「At the age of seventeen(17歳の時に)」と答えたが、彼女の南部なまりがあまりに激しかったためにニックスは「Edge of seventeen」と聞き間違えた。ここからタイトルが生まれることとなった[1]。
ニックスはライブ・ビデオ『Stevie Nicks - Live In Concert』(1983年)のコメンタリーで次のように述べている[1]。
ジョン・レノンが撃たれた時、私は
オーストラリアにいた。みんな途方に暮れていた。私はジョン・レノンがどんな人か知らなかったけれど、70年代にジョンと仕事をしたジミー・アイオヴィーンから、彼にまつわる愛すべき話をいっぱい聞かされた。それで実家がある
フェニックスに戻って曲を書き始めたの。ところがフェニックスに着いて間もなくして、叔父のビルが癌で亡くなった。死の床には私といとこのジョン・ニックスがいた。まさに "ジョン" と私がそこにいたのよ。それからピアノで曲を完成させた。
ジミー・アイオヴィーン(Jimmy Iovine)はレノンの1974年のアルバム『心の壁、愛の橋』のエンジニアを務め、二人は親しい友人同士だったと言われている。
1981年7月27日、アイオヴィーンのプロデュースのもと、ニックスのファースト・アルバム『麗しのベラ・ドンナ(Bella Donna)』が発売される。同アルバムに収録され、翌1982年2月5日にシングルカットされた。B面は1981年12月録音の「エッジ・オブ・セブンティーン」のライブ・バージョンが収録された[2]。
1982年4月17日から4月24日にかけて2週連続でビルボード・Hot 100の11位を記録[3][4]。
『ローリング・ストーン』誌が選ぶ最も偉大な500曲(2021年版)において、217位にランクされている[5]。