エディ・ハワード
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| エディ・ハワード | |
|---|---|
|
エディ・ハワード、1960年撮影。 | |
| 基本情報 | |
| 出生名 | Edward Evan Duncan Howard[1] |
| 生誕 |
1914年9月12日 |
| 死没 |
1963年5月23日(48歳没) |
| 職業 | ボーカリスト、バンドリーダー |
エディ・ハワード (Eddy Howard) として知られた、 エドワード・イーヴァン・ダンカン・ハワード、Edward Evan Duncan Howard、1914年9月12日 - 1963年5月23日)[2]は、1940年代から1950年代に人気が高かったアメリカ合衆国のボーカリスト、バンドリーダー。
経歴
1938年、ハワードはNBCのラジオ番組の歌手となった[4]。
1939年にハワードは自身の楽団を立ち上げ、その後、1941年にエドガー・A・ゲストのラジオ番組でブルー・ネットワークで水曜日から金曜日まで放送されていた『It Can Be Done』のレギュラー歌手となった[5]。
ハワードと彼の楽団にとって、最初のナンバー1ヒットとなったのは、1946年にUSポップ・チャートで通算5週にわたって首位に立った「To Each His Own」であった。この曲は、パラマウントの1946年の映画『遥かなる我が子』の主題歌で、この映画はオリヴィア・デ・ハヴィランドと脚本家のチャールズ・ブラケットにアカデミー賞をもたらした。ハワードの録音は、マジェスティック・レコードからカタログ番号 7188 と 1070 でリリースされた。このレコードは、『ビルボード』誌のチャートで、1946年7月11日付で首位に立ち、通算19週にわたってチャート入りしていた[6]。この録音は、1957年まで200万枚以上を売り上げ、アメリカレコード協会 (RIAA) からゴールドディスクに認定された[7]。
ハワードの楽団は、NBCの『The Gay Mrs. Featherstone』(1945年4月18日 - 10月10日)[8]や、シェーファー・ペンズが提供していたNBCの『The Sheaffer Parade』[8]:302(1947年9月14日 - 1948年9月5日)にも出演していた。
1949年、ハワードは、マーキュリー・レコードと契約した。彼の人気は1950年代も続き、「Maybe It's Because」や「(It's No) Sin」がヒットし、後者はハワードにとって2枚目のナンバー1ヒットとなって100万枚以上を売り上げ、ゴールドディスクを獲得した[9]。この曲はザ・フォー・エイセスのバージョンも100万枚以上を売り上げた[9]。ハワードにとって最後のヒットは、「The Teen-Ager's Waltz」で、1955年に『ビルボード』誌のトップ100チャートで最高90位に入った。1952年から1953年にかけて、彼はCBSで木曜日の夜、午後10時45分からの放送に出演し、さらに1955年から1956年にかけては火曜日午後10時からの放送に出演していた。しかし、ロック音楽の台頭とともに、ハワードの人気は陰っていった。
役割を変えたハワードは、1954年には、NBCの1時間バラエティ番組『Just for You』の司会者となった。この番組では、WMAQ の局の楽団が演奏を担当した[8]:186。
1960年代になるとハワードは、大衆文化で「ノスタルジア」を総称された、ビッグバンド音楽や古き良きラジオへの関心の復活に乗って、再び運気が向いてきた。ハワードは既に半ば引退した状態だったが、一時期彼のもとでサクソフォーン奏者を務めていたボーカリストでバンドリーダーのノーマン・リー (Norman Lee) がエディ・ハワード楽団 (the Eddy Howard Orchestra) の名義と、バンドの編曲を使用する権利を手に入れた。リーと楽団は、合衆国中西部ではダンス・バンドとして広く知られる存在となった。楽団は、カンザス州ウィチタを拠点として広く各地を巡業し、自らのレーベルであるマリアン・レコード (Marian Records) からレコードを出した。1960年代後半には、リーはエディ・ハワードの名を使用するのをやめて、自身の名義で楽団を率いて活動するようになったが、ハワードのスタンダード曲のいくつかは、そのまま楽団のレパートリーとして残された。この楽団の活動は、1978年12月6日に、リー夫妻が、かつての楽団のトランペット奏者たちに殺害されるまで続いた。
栄誉
ハワードは、ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームの録音部門に星を与えられており、ハリウッド・ブールバード6724番地に星がある。この星が与えられたのは、1960年2月8日のことであった[10]。
死
ディスコグラフィ
シングル
| 年 | 曲名 | チャート |
|---|---|---|
| US | ||
| 1946 | "To Each His Own" | 1 |
| "The Rickety Rickshaw Man" | 6 | |
| "(I Love You) For Sentimental Reasons" | 2 | |
| "My Best to You" | 17 | |
| 1947 | "The Girl That I Marry" | 23 |
| "My Adobe Hacienda" | 2 | |
| "Heartaches" | 11 | |
| "I Wonder, I Wonder, I Wonder"[11] | 2 | |
| "Ragtime Cowboy Joe"[12] | 16 | |
| "Kate (Have I Come Too Early, Too Late)" | 7 | |
| "An Apple Blossom Wedding" | 9 | |
| 1948 | "Now Is the Hour (Maori Farewell Song)" | 8 |
| "Just Because" | 20 | |
| "Put 'em in a Box, Tie 'em with a Ribbon, and Throw 'em in the Deep Blue Sea" | 23 | |
| "(I'd Like to Get You on a) Slow Boat to China" | 6 | |
| "Dainty Brenda Lee" | 27 | |
| 1949 | "Candy Kisses" | 20 |
| "Love Me! Love Me! Love Me!" | 24 | |
| "Red Head" | 29 | |
| "Room Full of Roses" | 4 | |
| "Yes, Yes, in Your Eyes" | 21 | |
| "Maybe It's Because" | 9 | |
| "Tell Me Why" | 25 | |
| 1950 | "Half a Heart Is All You Left Me (When You Broke My Heart in Two)" | 28 |
| "Rag Mop" | 24 | |
| "American Beauty Rose" | 21 | |
| "To Think You've Chosen Me" | 9 | |
| 1951 | "A Penny a Kiss-A Penny a Hug" | 14 |
| "The Strange Little Girl" | 28 | |
| "What Will I Tell My Heart" | 27 | |
| "(A Woman Is a) Deadly Weapon" | 22 | |
| "(It's No) Sin" | 1 | |
| 1952 | "Stolen Love" | 11 |
| "Wishin'" | 17 | |
| "Be Anything (But Be Mine)" | 7 | |
| "Auf Wiederseh'n Sweetheart" | 4 | |
| "Mademoiselle" | 14 | |
| "I Don't Want to Take a Chance" | 26 | |
| "It's Worth Any Price You Pay" | 11 | |
| 1953 | "Gomen-nasai" | 17 |
| 1954 | "Melancholy Me" | 16 |
| 1955 | "The Teen-Ager's Waltz" | 90 |