ヴァランシエンヌで生まれた.[1] 。父親はシェール県の知事などを務めた人物で、母親は画家ジャン・オノレ・フラゴナール(1732-1806)の親戚であった。妹のベルト・モリゾ(1841-1895)は、有名な印象派の画家になった。1852年ころ家族とパリに移り、モリゾ姉妹はブルジョア家庭の女性としての美術や音楽の教育を受けた。母親の手配で1857年からジョフロワ・アルフォンス・ショカン(Geoffroy Alphonse Chocane)という画家から絵を学んだ[2][3]。両親がアングルの弟子で評判の高い美術教師のジョゼフ・ギシャールを姉妹の教師とすると[4]、ギシャールは、姉妹の才能を認めた。ギシャールの勧めで姉妹は母親とルーブル美術館を訪れ、巨匠たちの作品を模写して修行した。美術館で画家のアンリ・ファンタン=ラトゥール(1836-1904)と知り合い[2] 、エドゥアール・マネ(1832-1883)といった印象派の画家たちを紹介された[5]。
ギシャールは友人のバルビゾン派の画家ジャン=バティスト・カミーユ・コローにも姉妹の指導を任せ、1861年に姉妹はコローとパリ郊外のヴィル=ダヴレーで風景画を描いた。コローの弟子のアシル・ウディノ(Achille Oudinot)の指導も受けた。エドマ・モリゾは多くの風景画を描き、1863年には肖像画も描くようになり妹のベルトの肖像画を描いた。1864年のパリのサロンで出展が受理された.[2] 。批評家にほとんど注目されなかったが、その後も1865年、1866年、1867年、1868年のサロンに出展した。
エドマ・モリゾは1869年に海軍士官のアドルフ・ポンティヨン(Adolphe Pontillon: 1832-1894)と結婚した。夫は後にレジオンドヌール勲章のコマンドゥールを受勲する。パリを離れ、軍港のあるロリアンで暮らし、芸術家としての活動を止めた。妹のベルト・モリゾと文通を続け、残された手紙には、妹の仕事のことや共通の友人の画家、作家についての考察が書かれ、ベルト・モリゾ研究の資料となった。またエドマ・モリゾは妹の多くの人物画のモデルを務めた。
エドマ・モリゾは1921年にパリで亡くなった。