エドワード・ディグビー (第9代ディグビー男爵)
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サー・ヘンリー・ディグビー(1842年8月19日没、ウィリアム・ディグビーの息子)と妻ジェーン・エリザベス(Jane Elizabeth、旧姓クック(Coke)、初代レスター伯爵トマス・ウィリアム・クックの娘)の息子として、1809年6月21日にドーセットのフォーストン・ハウス(Forston House)で生まれた[1]。ハーロー校で教育を受けた[1]。
1826年4月13日、エンサイン(歩兵少尉)への辞令を購入して、第65歩兵連隊に配属された[2]。1827年4月ごろに中尉に昇進した[3]。その後は半給になり、1828年8月4日に軽竜騎兵第9連隊に転じた[4]。
1848年11月14日、ドーセット・ヨーマンリー連隊の大尉に任命された[5]。1856年7月26日、少佐に昇進した[6]。1866年7月19日に指揮権を与えられ[7]、1870年9月に辞任した[8]。1871年5月23日、引退後も少佐の軍階を保持することを許可された[9]。
1856年5月12日に遠戚の第2代ディグビー伯爵エドワード・ディグビーが死去すると、ディグビー男爵位を継承した[1]。貴族院では保守党に属し、1871年にウィリアム・グラッドストンが提出したアイルランド土地法案に反対票を投じた[1]。1876年時点でアイルランドのキングス・カウンティ(現オファリー県)に29,722エーカーの、クイーンズ・カウンティ(現リーシュ県)に938エーカーの領地を所有し、合計で年収13,287ポンド相当だった[10]。1883年までにメイヨー県の6,835エーカー(年収162ポンド)もアイルランドでの領地に加えられた[1]。イングランドでは1883年時点でドーセット州に1,886エーカー、ウォリックシャーに124エーカーの領地を所有し、全領地の合算で年収15,968ポンド相当だった[1]。
1889年10月16日にドーセットのミンターン・ハウスで死去、ミンターンで埋葬された[1]。息子エドワード・ヘンリー・トラファルガーが爵位を継承した[1]。
