エドワード・ベアリング (初代レヴェルストーク男爵)
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1828年4月13日、ベアリングス銀行の創立者初代準男爵フランシス・ベアリングの三男ヘンリー・ベアリングとその妻セシリア(旧姓ウィンダム)の間の次男としてロンドンに生まれる[1][2]。
ベアリングス銀行の経営を見ていた従兄弟トマス・ベアリングが1873年に死去すると彼とラッセル・スタージスが経営を主導する立場となった[3]。1879年から1891年にかけてはイングランド銀行理事にも就任する[2][4]。
1885年6月30日には連合王国貴族爵位レヴェルストーク男爵に叙せられた[2][4]。
男爵に叙された頃からベアリングス銀行内の経営主導権を強め、南米への無謀な事業拡大を推進した。とりわけアルゼンチン、ウルグアイ、チリへの進出に熱心でブエノスアイレス上下水道会社に多額のローンを行った。しかし1890年の革命の影響でアルゼンチンは利払い不能に陥ったため、ベアリングス銀行は破産の危機に瀕した[5]。
イングランド銀行総裁ウィリアム・リダーデールはベアリングス銀行の破産はシティの破産につながるとして救済に動き、他の銀行からの支援基金を取り付けてくれたおかげでベアリングス銀行は何とか経営を立て直すことができた[6]。
1897年7月17日にロンドン・メイフェア・チャールズ通りで死去した。爵位は生存している最年長の男子ジョン・ベアリングが継承した[2]。
