エマ (ハワイ王妃)

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在位 1856年 - 1863年
全名 エマ・カラニカウマカアマノ・カレレオナーラニ・ナエア・ルーク
Emma Kalanikaumakaʻamano Kaleleonālani Naʻea Rooke
死去 (1885-04-25) 1885年4月25日(49歳没)
ハワイ王国ホノルル
エマ
Emma
ハワイ王国の王妃
エマ王妃
在位 1856年 - 1863年

全名 エマ・カラニカウマカアマノ・カレレオナーラニ・ナエア・ルーク
Emma Kalanikaumakaʻamano Kaleleonālani Naʻea Rooke
出生 1836年1月2日
ハワイ王国ホノルル
死去 (1885-04-25) 1885年4月25日(49歳没)
ハワイ王国ホノルル
埋葬 1885年5月17日
ハワイ王国家の霊廟英語版
配偶者 カメハメハ4世
子女 アルバート・カメハメハ英語版
家名 カメハメハ王家英語版
父親 ジョージ・ナエア英語版
トマス・チャールズ・バイト・ルーク英語版ハーナイ
母親 ファニー・ケケラオカラニ英語版
グレイス・カマイクイ英語版ハーナイ
宗教 ハワイ教会英語版
サイン
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エマ英語: Queen Emma of Hawaii1836年1月2日 - 1885年4月25日)は、ハワイ王国の国王カメハメハ4世の妻。1856年から1863年に夫が亡くなるまで王妃であった。彼女は後に王位継承候補として立候補したが、カラカウア王が選出された。

エマは1836年1月2日にホノルルで生まれ、しばしばエマ・ラニ(Emalani、「ロイヤル・エマ」)と呼ばれた。父親は大酋長ジョージ・ナエア (George Naʻea) であり、母親はファニー・ケケラオカラニ・ヤング (Fanny Kekelaokalani Young) であった。教育はアメリカの宣教師たちが建てた王立学校 (Royal School) で受け、1856年カメハメハ4世(本名:リホリホ、在位:1855 - 1863年)と結婚した。

エマ王妃には数々の功績があり、まず宗教に関して、イングランド教会聖公会)を1862年10月にハワイに招いてハワイ教会 (Church of Hawaii) を建て、リホリホと共に洗礼を受け、翌月堅信を受けた。その後、ハワイ教会は米国聖公会ハワイ教区となり、米国聖公会では11月28日を「リホリホとエマの聖名祝日」としている。また自ら寄付を募り、セントアンドリューズ大聖堂の基礎を築いた[1]

教育方面では、聖アンドリューズ女子学校 (St. Andrew's Priory School) を建て、イオラニ学校 (Iolani School) の基礎を築いたりした。また、衛生方面ではクイーンズ病院 (The Queen's Medical Center) を設立するなどした。この病院は、現在でもハワイ州最大の市立病院である。

リホリホ亡き後、エマは1874年にハワイ国王の選挙に王位継承候補として立候補したが、カラカウア王が選出された。

エマはイギリスのヴィクトリア女王とも親しく、互いに親書を何度も交わしている。1885年4月25日、エマはホノルルで亡くなった。

エマ王妃はヌウアヌパリ・ルックアウトに向かう丘の上にある、このホノルル港を見渡せる館に住んでいた。この館は現在も「エマ王妃夏の離宮」(Hānaiakamalama)として一般に公開されている[2]

脚注

関連項目

外部リンク

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