エマ・ダーシー
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| ウェンディ・ブレナン Wendy Brennan | |
|---|---|
| ペンネーム | エマ・ダーシー |
| 誕生 | 1940年11月28日 |
| 死没 | 2020年12月12日(80歳没) |
| 職業 | 小説家 |
| 言語 | 英語 |
| 国籍 |
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| 活動期間 | 1983年 - 2020年 |
| ジャンル | ロマンス、サスペンス |
| フランク・ブレナン Frank Brennan | |
|---|---|
| ペンネーム | エマ・ダーシー |
| 誕生 | 1936年??月??日 |
| 死没 | 1995年 |
| 職業 | 小説家 |
| 言語 | 英語 |
| 国籍 |
|
| 活動期間 | 1983年 - 1995年 |
| ジャンル | ロマンス、サスペンス |
エマ・ダーシー(Emma Darcy)は、オーストラリアの小説家、ウェンディ・ブレナン(Wendy Brennan、1940年11月28日 - 2020年12月12日)とフランク・ブレナン(Frank Brennan、1995年没)夫妻の共同ペンネーム。夫妻で45作以上のロマンス小説を上梓した。1993年、エマ・ダーシー名義使用の10周年を記念して、作家を奨励するエマ・ダーシー・コンテストを設けた。1995年にフランクが亡くなった後は、ウェンディが1人で執筆した。
1983年から2001年にかけて6000万部を売り上げ、1年に平均して6冊を上梓した[1]。
2002年、初となる犯罪小説"Who Killed Angelique?" を上梓し、ネッド・ケリー賞処女作部門を受賞した。翌2003年に上梓した、第2作となる『殺され急ぐ女たち』(Who Killed Bianca? )は、同賞の長編部門の最終候補となった[2]。
ウェンディ・ブレナンは、ラテン語で優良な成績を収め、高校の英語教師をしていた。世評によると、ウェンディは南半球で初の女性コンピュータ・プログラマであるとのこと[3]。フランク・ブレナンはビジネスマンだった。
ウェンディはフランクとの結婚後に仕事を辞め、夫妻は3人の息子をもうけた。熱心な読書家だった2人は、読むだけでは飽き足らず、エマ・ダーシー名義で小説を書くことを決めた。1983年、処女作を上梓して以後、2001年までに著作の売り上げは6000万部に達した[1]。2002年には初となる犯罪小説"Who Killed Angelique?" を上梓し、ネッド・ケリー賞処女作部門を受賞。翌2003年に上梓した『殺され急ぐ女たち』(原題:Who Killed Bianca? )は同賞の長編部門の最終候補に残った[2]。
1993年、作家を奨励するためにエマ・ダーシー・コンテストを開催。賞金は2000ドルで、編集者に原稿を読んでもらえる保証がされていた。コンテストは2001年まで続いた[4]。
1995年にフランクが亡くなり、ウェンディは未亡人となる。かつてはニューサウスウェールズ州在住で、3人の息子は成人しており、孫が5人いた。
- エマ・ダーシー・コンテスト受賞者
- 1994年 – トレイシー・クーパー=ポージー
- 1995年 – ジニー・ギブス "The Last Resort"
- 1996年 – ブランウィン・ジェームソンフォー "For Love or Money"
- 1997年 – フィオナ・ブランド "Cullen's Bride"
- 1998年 – ジル・ワトキンソン "Black Pearl"
- 1999年 – イヴォンヌ・リンゼイ "The Father Deal"
- 2000年 – ルーシー・フォースター&ダニエル・エリス
- 2001年 – ローラ・ラッチ "Full Circle" (改題:"The Tie that Binds" )