エミル・ザイデル

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エミル・ザイデル

エミル・ザイデル(Emil Seidel、1864年12月13日 - 1947年6月24日)はアメリカ合衆国政治家1910年から1912年までウィスコンシン州ミルウォーキー市長を務めた。合衆国の主要都市では初の社会党員市長で、1912年の大統領選挙では同党の副大統領候補として出馬。

前半生

ペンシルベニア州スクーカル郡アシュランドドイツ移民家庭に生まれる。幼少時にウィスコンシン州へ転居。

22歳の時に木彫り職人としての腕を磨くため、両親の故国であるドイツへ渡る[1]ベルリンで6年間過ごす事になるが、その間働きながら夜間学校に通う[1]社会主義活動家となったのは、この時期の事であった。ミルウォーキーに戻る途中、原型職人組合に加盟[1]1895年ルーシー・グレイセルと結婚[1]

政治家時代

合衆国帰国時、アメリカ社会労働党に入党し[2]、ミルウォーキーで同党初の支部員となった[1]。その後、アメリカ社会民主主義1897年設立)やアメリカ社会民主党1898年設立)を経て、アメリカ社会党に入党する事となる。

1904年にはミルウォーキー市議会議員選挙で、同市第20選挙区から出馬し初当選。この選挙では9名の社会党候補が当選を果たしており、サイデルはその内の1人であった[1]。市議は1909年まで2期にわたり務める[1]

1912年の大統領選挙ポスター。サイデルはユージン・V・デブスの副大統領候補として出馬

1910年ミルウォーキー市長選挙に当選、合衆国の主要都市では初の社会党員市長となった。市長在任中は初の公共事業局を設立した他、消防警察委員会を組織、公園緑地系統が生み出されるに至った。

バー規制強化や、売春宿及びカジノの閉鎖にも辣腕を振るう事となる。詩人作家カール・サンドバーグを短期間ながら秘書に迎えたのはこの時期の事であり、サンドバーグをミルウォーキーに惹き付けたのは、偏にザイデルの社会主義者としての願望が成せる技であった。

1912年の市長選挙では民主共和両党が追い落としに掛かった事もあり、ガーハード・A・ベイディングに敗北を喫する。その後、同年の大統領選挙でユージン・V・デブスと共に社会党から立候補、901551票という記録的な票数を勝ち取ったが落選(得票率は6%)。1932年上院議員選挙にウィスコンシン州選挙区から出馬し6%の得票率を獲得、こちらも当選には至らなかった。なお、ミルウォーキー市議は通算2期(1916年 - 1920年1932年 - 1936年)務める事となる[3]

1947年6月24日死去。

関連項目

脚注

主著

参考文献

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