エムリン・ヒューズ
イングランドのサッカー選手
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エムリン・ウォルター・ヒューズ, OBE(Emlyn Walter Hughes, OBE, 1947年8月28日 - 2004年11月9日)は、イングランド出身の元サッカー選手。ポジションはディフェンダーとミッドフィールダーで、主にボランチを務めた。
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| 名前 | ||||||
| 本名 |
エムリン・ウォルター・ヒューズ Emlyn Walter Hughes | |||||
| ラテン文字 | Emlyn Hughes | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1947年8月28日 | |||||
| 出身地 | バロー=イン=ファーネス | |||||
| 没年月日 | 2004年11月9日(57歳没) | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | DF (CB, 左SB) / MF (DH) | |||||
| 利き足 | 右足 | |||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 1964-1967 |
| 28 | (0) | |||
| 1967-1979 |
| 474 | (35) | |||
| 1979-1981 |
| 58 | (2) | |||
| 1981-1983 |
| 56 | (6) | |||
| 1983 |
| 9 | (0) | |||
| 1983 |
| 0 | (0) | |||
| 1983-1984 |
| 7 | (0) | |||
| 代表歴 | ||||||
| 1969-1980 |
| 62 | (1) | |||
| 監督歴 | ||||||
| 1981-1983 |
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1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
略歴
ヒューズはバロー=イン=ファーネスにて生まれ、かつて有名なラグビー選手であった父親フレッド・ヒューズの影響もあり、少年時代はラグビーをプレーするが、その後サッカーに転向し1965年にブラックプールにてプロキャリアをスタートさせる。
1967年に名将ビル・シャンクリーによってブラックプールFCから6500ポンドでリヴァプールFCに移籍[1]、愛らしい笑顔がファンから愛された[2]。また、激しく動き回るプレースタイルから、クレイジーホースという愛称で親しまれた[2]。リヴァプールでは通算665試合49ゴールの成績を残し[2]、クラブ初の欧州制覇など数々のタイトル獲得に貢献した。1970年ワールドカップのイングランド代表メンバーでもあった[2]。
1974-75シーズンからは、トミー・スミスからキャプテンの座を譲り受けた[2]。しかし、それによりスミスとの仲は険悪なものとなっていった。1976-77シーズンには自身そしてクラブ史上初となるUEFAチャンピオンズカップ制覇をキャプテンとして果たした。翌年もチャンピオンズカップを制し、クラブの連覇に大きく貢献した。しかし、1979年に膝を故障してからは[2]メンバーから外れることが多くなり、同年夏に90000ポンドでウォルバーハンプトンへ移籍した。その後もロザラム・ユナイテッドFC、ハル・シティ、マンスフィールド・タウン、スウォンジーと渡り歩き、1984年に現役を退いた。

引退後、その功績を讃えられ、生まれ故郷のバロー=イン=ファーネスにはヒューズの銅像が建てられている。
代表でのキャリア
アルフ・ラムゼイにより1970 FIFAワールドカップのメンバーに招集されるも、出番には恵まれなかった。1974年に監督に就任したジョー・マーサーの下ではキャプテンに任命され、キャプテンとして26試合に出場している。代表通算では62試合に出場している[3]。
エピソード
ビル・シャンクリーはヒューズとの契約を締結させ、ヒューズと共にクラブへ向かう際にタクシーの運転手に対し「この少年が誰だか分かるかい。未来のイングランド代表のキャプテンだよ。」と自慢げに語ったが、実際その通りとなり、ヒューズはイングランド代表キャプテンとして26試合に出場している。