現在のベルギーリンブルフ州のシント=トロイデンで生まれた。初期の経歴や誰の弟子であったかなどは知られていない。1606年にアントウェルペンの聖ルカ組合の親方になった。
16世紀の宗教改革のなかで起きたイコノクラスム(聖像破壊運動)によって破壊された教会の調度の修復や更新に取り組んだ。代表的な作品は1635年から制作した、アントウェルペンの教会(Sint-Elisabethgasthuis)の祭壇の彫刻やリールの教会(Sint-Gummaruskerk)の祭壇の彫刻などがある。
風景画家、ルーカス・ファン・ウーデン(1595-1672)の姉(妹)と結婚し、息子に同名の画家のエラスムス・クエリヌス(Erasmus Quellinus II または Erasmus Quellinus de Jonge)や版画家のフベルトゥス・クエリヌス(Hubertus Quellinus)、彫刻家のアルトゥール・クエリヌス(Arthur Quellinus I)が生まれた。娘は弟子の彫刻家、ピーテル・フェルブルッヘン(Pieter Verbrugghen I)と結婚した[1]。
弟子には ピーテル・フェルブルッヘンやメルヒオール・シャルル(Melchior Charles)、ワレラント・ヴァイアン(Wallerant Vaillant)らがいる[2]。