エルズルム条約
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1639年のズハーブ条約はオスマン帝国とガージャール朝の国境を定めたが、その後2世紀の長きにわたって、山がちなズハーブ地方では紛争が絶えなかった。オスマン帝国はガージャール朝領のアーザルバーイジャーンから逃げてきた反乱者たちをたびたび受け入れ、これが両国間の緊張を引き起こした。この事態の背後にはロシア帝国がいる。ロシア帝国は当時ギリシャ独立戦争でギリシャを支持しており、その敵国のオスマン帝国に圧力をかけられる相手を探していた[2]。ロシアに焚きつけられたペルシアのアッバース・ミールザー王子はクルディスタンとアーザルバーイジャーンを侵攻、オスマン・ペルシア戦争が開戦した[3]。バグダード太守はペルシアに侵攻したが撃退され、逆にバグダードを包囲される結果となった。さらにペルシアが1821年のエルズルムの戦いで勝利すると、オスマン帝国が折れ、1823年7月28日にエルズルム条約を締結して戦争は終了した[4]。この条約では1639年の国境が再確認され、ペルシアの巡礼者はオスマン帝国内の聖地への通行権を保障された[3]。