エレーナ・ベクマン=シチェルビナ
From Wikipedia, the free encyclopedia
| エレーナ・アレクサンドロブナ・ ベクマン=シチェルビナ | |
|---|---|
|
クリミア半島のアルプカで馬にのるベクマン=シチェルビナ | |
| 基本情報 | |
| 出生名 | Елена Александровна Каменцева |
| 生誕 |
1882年1月12日 |
| 死没 |
1951年9月30日(69歳没) |
| 学歴 | モスクワ音楽院 |
| ジャンル | クラシック音楽 |
| 職業 | ピアニスト・音楽教師・作曲家 |
| 担当楽器 | ピアノ |
エレーナ・ベクマン=シチェルビナ(ロシア語: Елена Александровна Бекман-Щербина, Yelena Alexandrovna Bekman-Shcherbina, 1882年1月12日モスクワ - 1951年9月30日)はロシアのピアニスト・音楽教師・作曲家。

1882年、ロシア帝国・モスクワで生まれた。旧姓カメンツェヴァ(ロシア語: Каменцева, Kamentseva)。母親が亡くなったために母方のおばの養女となり、感謝の気持ちでおばの姓を名のるようになった。6歳でニコライ・ズヴェーレフにピアノを師事し、スクリャービンとラフマニノフの妹弟子となる。その後パヴェル・パプストとワシーリー・サフォーノフに師事し、1899年にモスクワ音楽院ピアノ科を金メダルを得て卒業した。
1900年、ロシア音楽協会のコンサートでヤン・フジマリー、アルフレッド・グレン(Alfred von Glehn)とトリオを組んで演奏家としてデビュー。1912年に音楽教室を開くが、1918年に閉鎖。
エレーナ・シチェルビナは、同時代の音楽の演奏に興味を持ち、とりわけスクリャービンやロスラヴェッツの作品の擁護者となった。スクリャービン自身が(手の小ささを理由に)演奏を諦めた《ピアノ・ソナタ第6番》《第8番》の初演者として歴史に名を残している。また、当時あまりロシアの聴衆に親しまれていなかった、ドビュッシーやイサーク・アルベニスのピアノ曲の紹介にも意欲的であった。ラヴェルの《ピアノ三重奏曲》のロシア初演でピアノ・パートを受け持ってもいる。
受賞・栄典
- 1937年:名誉芸術家
- 1945年:労働赤旗勲章