エンリケ・セレソ
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エンリケ・セレソ | |
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| 生誕 |
1948年2月27日(77歳) |
| 国籍 |
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| 出身校 | マドリード工科大学 |
| 肩書き |
アトレティコ・マドリード会長 EGEDA(視聴覚著作権管理団体)会長 Canal 8 Madrid会長 |
| 子供 | 3人 |
| 受賞 | 芸術の功績に対する金賞 |
| 公式サイト | 公式ウェブサイト |
エンリケ・セレソ・トーレス(Enrique Cerezo Torres、1949年9月18日- )は、スペインの映画プロデューサー、実業家、投資家。 2003年5月28日からプリメーラ・ディビシオンのアトレティコ・マドリード会長を務めている。また、 エンリケ・セレソ・プロデュケーションズ・シネマトグラーフィカスやローカルテレビ局の8 madrid、マドリードの映画館チェーンのConde Duque、ビデオ・オン・デマンド・インターネット会社のFlix Oléのオーナーでもある。
スペイン映画の70%以上の作品の権利を保有しており、スペイン国内の映画部門のリーダー的存在となっている。
1971年、映画『Vente a Alemania, Pepe』のカメラアシスタントとして映画界に入った。3年後、『La sonrisa del Sol: Almería』の監督を務めた。
映画プロデューサーとしては、Enrique Cerezo - Producciones Cinematográficasを所有しており、それまでにも何本かの映画を制作していたが、1990年代からプロデューサーとしてキャリアを積み始めた。
1998年からは、スペインとアメリカ他数カ国から映画製作者を集めた組織「EGEDA」(視聴覚著作権管理団体)の会長を務めている。
2010年11月には、2009/2010年の最優秀映画製作者に贈られるウエルバ映画祭のシティ・オブ・ウエルバ賞を受賞した。
アトレティコ会長として
2003年5月30日、いくつかの制裁と資格剥奪を経て、ヘスス・ヒルはアトレティコ・マドリードの会長を辞任し、後任には1987年から副会長を務めていたエンリケ・セレソが就任した。
当初から、特に2004年5月14日のヘスス・ヒルの死後、ヘスス・ジルの息子であり相続人でもあるCEOのミゲル・ アンヘル・ヒル・マリンとクラブの経営を分担した。
アトレティコ・マドリードが欧州大会への出場権を得たのは、会長に就任してから4年後のことだった。2006-07シーズン、ハビエル・アギーレを監督に招聘。また、クラブの技術秘書で元スペイン代表のトニ・ムニョスのアイデアでセルヒオ・アグエロを獲得し、フェルナンド・トーレスとの2トップは得点を量産した。そのシーズン、チームは選手の怪我に苦しむも、リーグ戦では7位、インタートトカップとUEFAカップの出場機会を得ることができた。
2007年にはエスタディオ・ビセンテ・カルデロンをマドリード市に売却し、チームのキャプテンであるフェルナンド・トーレスをリバプールに売却した。
2007-08シーズン、チームは12年ぶりに再びチャンピオンズリーグ出場権を獲得した。
2009-10シーズン、2010年5月12日にドイツのハンブルクにあるHSHノルトバンク・ アレーナで行われヨーロッパリーグ決勝戦では、イングランドのフラムにを破り優勝した。クラブがタイトルを獲得したのは1996年以来となった。また、コパ・デル・レイの決勝戦にも出場したが、セビージャで敗れた。ただ、決勝戦のアトレティコサポーターの人数はマドリード外での試合でクラブ史上最多の数を記録した。
ヨーロッパリーグを制覇したアトレティコ・マドリードは、2010年8月27日、モナコのスタッド・ルイ・ドゥで欧州スーパーカップ、インテル・ミラノ(同年チャンピオンズリーグ優勝)と対戦し、ホセ・アントニオ・レジェスとセルヒオ・アグエロのゴールで2-0で下し、同シーズンに2度目の国際タイトルを獲得した。
2010年11月29日、セレソはシーズンの功績を評価され、インテル・ミラノの会長、マッシモ・モラッティと一緒にティエポロ賞を受賞した。
2011年12月にディエゴ・シメオネを監督に招聘すると、すぐにヨーロッパリーグではアスレティック・クルブを破り優勝する。2012-13シーズンにはコパ・デル・レイ決勝でレアル・マドリードを破り優勝する。翌シーズン、クラブはリーガ・エスパニョーラ優勝を果たし、クラブ史上最高得点となる勝ち点90を獲得した。同年、スーペルコパでもレアル・マドリードと対戦し、合計2-1で勝利している。また、クラブはチャンピオンズリーグ決勝に2度(2013-14、2015/16)進出した。
2017-18シーズン、3億1000万ユーロの支出を経て、クラブは本拠地をエスタディオ・メトロポリターノに移動する。
アトレティコ・マドリードに関する略年表
- 2003年 アトレティコ・マドリードの会長職に就く
- 2006-07 国内リーグ7位、インタートトカップ出場権獲得
- 2007-08 国内リーグ4位、UEFAチャンピオンズリーグ出場権獲得
- 2009-10 UEFAヨーロッパリーグ優勝