オクターヴ・ガリアン
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フランス南部の港町トゥーロンで生まれた。裕福な商人の家族で育ち[1])、幼い頃からピアノとバイオリンの才能を示したが、絵画に転じ、トゥーロンで工房を開いていた画家のフレデリック・モンテナールとギュスターヴ・ガロー(Gustave Garaud)の弟子になった[2]。修行のためパリに出て、パリ国立高等美術学校とアカデミー・ジュリアンで学び、ジュール・ジョゼフ・ルフェーブルやギュスターヴ・ブーランジェ、シャルル・ジヌーの指導を受けた。
パリ郊外のフォーブル・サン・オノレ(Faubourg Saint-Honoré)にアトリエを構え、おもに女性の肖像画を描くことが多かったが、故郷のトゥーロンや南仏の港町マルティーグの間のプロヴァンスの海岸の風景もしばしば描いた。1878年から1905年の間、パリのサロンの常連の出展者であり、1884年にはトゥーロン港の風景を描いた作品で賞を得た[3]。1887年にはトゥーロン美術館の装飾パネルを制作したがこの作品は第二次世界大戦中の爆撃で破壊された[3]。
1918年1月にパリの自宅で34歳で亡くなった[4]。