オクターヴ・パンギユイ・ラリドン
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パリで生まれた。父親のパンギユイ・ラリドン卿(François-Marie Penguilly L'Haridon)は軍務官僚でナポレオン戦争から伝統のある「古参近衛隊」で働き、1815年に軍監理官(ancien commissaire des guerres)を任じられ、1830年に男爵に叙階された人物である。

オクターヴ・パンギユイ・ラリドンは、1831年にエコール・ポリテクニークに入学し[1]、1833年にメスの陸軍砲術学校(École de l'artillerie) に少尉として入学した。軍の将校として昇進し、1856年にパリ砲兵博物館の学芸員に任じられ[2][3]、1866年に軍を退役するまで軍人として働いた。パリ砲兵博物館の学芸員としては、1862年に博物館に来館したナポレオン3世に新しい資料を案内し、ナポレオン3世に気に入られることによって、博物館の展示品の充実に貢献した[4]。ナポレオン3世が修復したピエールフォン城の鎧のコレクションの管理の仕事にも任じられた[5]。博物館の収蔵品目録を出版した。
1851年にレジオンドヌール勲章(シュヴァリエ)を受勲し、1862年にレジオンドヌール勲章(オフィシエ)を受勲した。
軍人として働くとともに画家としての活動もした。砲術学校の時代の1834年に美術愛好家の展覧会で入選し、1835年からは戦争画を得意とする画家、ニコラ=トゥサン・シャルレのもとで修行し、展覧会に出展するようになった。1840年代に入って注目される画家と認められるようになり、パリのサロンに毎年出展するようになった。その風景画は詩人のシャルル・ボードレールに賞賛され、皇帝の家族もパンギユイ・ラリドンの絵画を購入した。