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オジアス・ハンフリー

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オジアス・ハンフリー(Ozias Humphry、1742年9月8日 - 1810年3月9日[1])は、イギリスの画家である。肖像画家、ミニアチュール画家として働いた。

生誕 (1742-09-08) 1742年9月8日
イギリス、ホニトン(Honiton)
死没 1810年3月9日(1810-03-09)(67歳没)
イギリス、ロンドン
概要 オジアス・ハンフリー, 生誕 ...
オジアス・ハンフリー
Ozias Humphry
ギルバート・ステュアートによる肖像画 (1784)
生誕 (1742-09-08) 1742年9月8日
イギリス、ホニトン(Honiton)
死没 1810年3月9日(1810-03-09)(67歳没)
イギリス、ロンドン
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略歴

イギリス南部デヴォンのホニトン(Honiton)で生まれた。15歳でロンドンに出て、ウィリアム・シプリーの私立絵画学校の生徒となった。その後、ヘンリー・パース(Henry Pars)にも学んだ。1758年か1759年までにデヴォンに戻り、1760年にはイングランド西部のバースのミニアチュール画家のサミュエル・コリンズ(Samuel Collins: 1735-1768)のもとで3年間、徒弟修行をした。その後、コリンズと共にダブリンや、エクセターなどで働いた後、バースに戻った。

トマス・ゲインズバラ(1727-1788)に勧められて1763年にロンドンで再び活動を始めた。肖像画の顧客から推薦状をのおかげで、有名な肖像画家ジョシュア・レノルズのアトリエで働くことができ、ロンドンに住んだ。1772年、ロイヤル・ソサエティ・オブ・アーツを訪れた国王にミニアチュール作品を買い上げられた。1772年に乗馬事故で神経障害を患い、後にることになった。

1773年にジョージ・ロムニーとパリ、ニース、フィレンツェを経由してローマへ旅し、1777年にスイスとフランスを経由してイギリスに帰国した。1779年にロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの準会員に選ばれた。ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの展覧会には1779年から1795年まで出展した[2]。43歳になった1785年8月にインドで働くためにコルカタに渡り、1786年6月から、インド北部のラクナウやヴァーラーナシーに滞在して働き、気候の問題と眼疾患の悪化のために1787年にインドを離れた。

1788年3月にロンドンに戻った。このインドでの仕事では肖像画を描いたインドで財を成した「Nabob」と呼ばれる人々の何人かは報酬を払わなかったので、生涯にわたって争うことになった。1791年に、ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの正会員に選ばれた。その間に目の具合が悪化し、ミニアチュール画をやめ、パステルを使った肖像画を描くようになった[3]。

1792年、王室パステル画家の称号を与えられた[4]。1790年代末にはほとんど視力を失い絵を描くのを止めた。

1810年にロンドンで68歳で亡くなった。

作品

脚注

参考文献

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