オタカール家
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この家系は実際には2つの血統からなると考えられている。オタカール2世までの古い家系はアリボ家の支流であるのに対し、シュタイアーマルク辺境伯オットカール1世以降の家系はトラウンガウ家であるという。
1050年ごろ、カランタニア辺境伯であったヴェルス=ランバッハ伯家が滅ぼされた後、その所領をオタカール家のオットカール1世が引き継いだ。オタカール家は新たな領地をシュタイアーマルクと呼び[2]、以後同家がシュタイアーマルク辺境伯を世襲した。さらに1122年にエッペンシュタイン家が断絶すると、オタカール家はその領地の大部分も手に入れた[3]。1164年に1歳で辺境伯位を継承したオットカール4世は、病のために嗣子を得る可能性がなくなると、1186年8月17日にバーベンベルク家のオーストリア公レオポルト5世との間でゲオルゲンベルク協定を結び、自らの死後にバーベンベルク家がオタカール家の領地を相続するとした[4]。1180年、神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世はハインリヒ獅子公よりバイエルン公領およびザクセン公領を没収し、部分的にバイエルン及びケルンテンに従属していたシュタイアーマルクを独立させ公領とし、オットカール4世はシュタイアーマルク公となった[5]。1192年にオットカール4世が死去しオタカール家は断絶、ゲオルゲンベルク協定に従いレオポルト5世がシュタイアーマルク公領を手に入れた[5]。