オットー1世 (ザルム伯)

From Wikipedia, the free encyclopedia

在位 1125年 - 1137年
出生 1080年ごろ
死去 1150年
配偶者 ゲルトルート・フォン・ノルトハイム
オットー1世・フォン・ザルム
Otto I. von Salm
ライン宮中伯
在位 1125年 - 1137年

出生 1080年ごろ
死去 1150年
配偶者 ゲルトルート・フォン・ノルトハイム
子女 オットー2世
ゾフィー
ベアトリクス
家名 ザルム家
父親 対立ローマ王ヘルマン・フォン・ザルム
母親 ゾフィー・フォン・フォルムバッハ
テンプレートを表示
トライス城
ライネック城(1860年頃)

オットー1世・フォン・ザルム(Otto I. von Salm, 1080年ごろ - 1150年)は、ザルム伯およびライン宮中伯(継子ヴィルヘルムと共治、在位:1125年 - 1137年)。

オットーは対立ローマ王ヘルマン・フォン・ザルムとゾフィー・フォン・フォルムバッハの息子である。1115年ごろにフリースラント辺境伯ハインリヒ・フォン・ノルトハイムゲルトルート・フォン・ブラウンシュヴァイクの娘で、ライン宮中伯ジークフリート1世の未亡人であったゲルトルートと結婚した。ゲルトルートは神聖ローマ皇帝ロタール3世の妃リヒェンツァの妹であった。

オットー1世はライネック城を建設し、1124年ごろよりオット・フォン・ライネックと名乗るようになった。継子であるライン宮中伯ヴィルヘルムが1140年に死去した後、オットーはライン宮中伯位を主張した。しかし1138年にローマ王に選出されたコンラート3世は、ライン宮中伯領を完全な封土として王のもとに回収し、義弟で忠実な支援者であったヘルマン・フォン・シュターレックに与えた。

オットーはトライス城を1148年まで、ライネック城を1151年まで保持した。しかし1148年にオットーとコンラート3世との間で争いが勃発し、コンラート3世は1148年にトライス城をオットーから取り上げ、トリーア大司教に与えた。そしてオットーの死後の1151年に、ライネック城は破却された。

子女

脚注

参考文献

Related Articles

Wikiwand AI