オットー1世 (ザルム伯)
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オットーは対立ローマ王ヘルマン・フォン・ザルムとゾフィー・フォン・フォルムバッハの息子である。1115年ごろにフリースラント辺境伯ハインリヒ・フォン・ノルトハイムとゲルトルート・フォン・ブラウンシュヴァイクの娘で、ライン宮中伯ジークフリート1世の未亡人であったゲルトルートと結婚した。ゲルトルートは神聖ローマ皇帝ロタール3世の妃リヒェンツァの妹であった。
オットー1世はライネック城を建設し、1124年ごろよりオット・フォン・ライネックと名乗るようになった。継子であるライン宮中伯ヴィルヘルムが1140年に死去した後、オットーはライン宮中伯位を主張した。しかし1138年にローマ王に選出されたコンラート3世は、ライン宮中伯領を完全な封土として王のもとに回収し、義弟で忠実な支援者であったヘルマン・フォン・シュターレックに与えた。
オットーはトライス城を1148年まで、ライネック城を1151年まで保持した。しかし1148年にオットーとコンラート3世との間で争いが勃発し、コンラート3世は1148年にトライス城をオットーから取り上げ、トリーア大司教に与えた。そしてオットーの死後の1151年に、ライネック城は破却された。

