オットー・ギュンシェ
アドルフ・ヒトラーの個人副官(1917 - 2003)
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生い立ち
第二次世界大戦

ギュンシェは、1940年6月22日の独仏休戦協定ではヒトラーの警護を担当し、ヒトラーから条約調印の際にフランス代表団が抵抗する素振りを見せたら、即座に射殺せよと命令を受けていた[3][2]。
1941年、ギュンシェはバート・テルツのSS士官学校へ入校し、士官教育を受けたあと、前線勤務を経て、1943年1月からヒトラーの個人副官(Persönlicher Adjutant)となる。その後、再度、半年間SS第1装甲師団ライプシュタンダルテ・SS・アドルフ・ヒトラー(LSSAH)の中隊長として前線で勤務、1944年2月に再びヒトラーの個人副官となる。7月20日のヒトラー暗殺未遂事件で軽傷を負う。1945年1月、ヒトラーと共にベルリンへ移る。
4月30日ベルリン攻防戦のさなか、総統地下壕でヒトラーが自殺するとその遺言に従い、総統官邸の庭でヒトラーとその妻エヴァの遺体に大量のガソリンをまいて焼却した。しかし、ガソリンによる焼却では完全に遺体を燃やし尽くすことは到底不可能であるため、結局遺体はヒトラーの遺言どおりにはならず、遺骨は戦後ソ連によって回収され、2000年4月にヒトラーのものとされる頭蓋骨の一部と歯が公開された。1日、ヴィルヘルム・モーンケSS少将らと共に赤軍によるベルリン包囲網を突破するため総統地下壕を脱出するが、5月2日シュルトハイス・ビール醸造所で赤軍に投降し捕虜となる。
戦後
登場する作品
映画『ヒトラー 〜最期の12日間〜』においては、ゲッツ・オットーが演じた。
