オットー・ブルンナー
From Wikipedia, the free encyclopedia
ブルンナーはウィーン近郊のメートリングで生まれたが、早くに父を亡くし、その後は母の実家で育てられた。ウィーン、イーグラウ、ブリュンで教育を受けたのち、第一次世界大戦に従軍。その後、1919年からウィーン大学のオーストリア歴史研究科で、歴史学と地理学を学んだ。
1929年にウィーン大学の私講師、1931年には中世史の員外教授になる。オーストリア歴史研究科科長であったハンス・ヒルシュはブルンナーの研究を高く評価しており、その意向もあり、1940年にヒルシュが死去すると研究科科長の座を引き継いだ。1941年から正教授。
第二次世界大戦中のナチスへの関与から、戦後は一時的退職扱いとなっていたが、1954年にハンブルク大学に教授として招聘され、1960年には同大学の総長をも務めた。1967年に定年退官したのちも、『社会経済史四季報』の編集に関わり、また、ヴェルナー・コンツェとラインハルト・コゼレックとともに大事典『歴史の基本概念』を編纂するなど、精力的な研究を続けた[1]。