オットー・リース
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1921年8月12日、オットー・リースはチェコスロバキア共和国ボヘミア地方カルロヴィ・ヴァリ州マリーエンバートにて生を受ける。父は仕立て屋で、リースも父の弟子として仕立て屋の修行を積んだ。1938年、ナチス・ドイツによるチェコスロバキア解体が始まり、ボヘミア地方はベーメン・メーレン保護領に組み込まれた。1940年10月、国家労働奉仕団での訓練を終えたリースはドイツ陸軍に装甲擲弾兵として入隊、ベルギーの守備任務を負う第17師団第55歩兵連隊に配属された。
1941年6月、第55歩兵連隊は東部戦線に移動し、この折にリースは第14装甲擲弾兵中隊の砲照準手(Richtschutze)に任命された。9月、戦闘中に凍傷を負うも功績を讃えられ二級鉄十字章を受賞する。1942年1月5日には上等兵に昇進した。
1943年、ゲオルク・ハウス大佐に率いられた第55歩兵連隊はロシア本土への攻撃に参加した。第14装甲擲弾兵中隊はソビエト連邦の装甲旅団陣地を正面から攻撃し、およそ300mの距離で20分間の激しい戦闘となった。この折、リースは7.5 cm PaK 40対戦車砲を用いて11両の戦車を撃破し、その功績により一級鉄十字章を受章した。さらに1943年11月10日には騎士十字章が授与され、国防軍軍報にその名を連ねた。1943年から1944年の間、リースは対戦車砲の照準手として戦い続けた。
1944年1月12日の戦闘で重傷を負ったリースは捕虜となり、1949年に釈放された。

